も今日までの吟味の経過を詳細に書きあげて、所詮は察斗詰に行うのほかはありますまいというのであった。
江戸の町奉行所で察斗詰の例は極めて稀であった。士分の者にはその例がない、町人でも享保以後わずかに二人に過ぎないという。そういう稀有の例であるから、老中の方でも最初は容易に許可しそうにも見えなかったが、再三評議の末にいよいよそれを許可することになった。足かけ三年越しの裁判もここに初めて落着して、五月二十三日、播州無宿の吉五郎は死罪を申付けられた。察斗詰に対して、罪人が故障を申立てることは出来ないので、いかに強情我慢の彼もその申渡しに服従するの外はなかった。
しかし所詮は察斗詰であって、彼自身の白状ではない。かれは最後まで拷問に屈しなかったのである。牢内で役附の者どもは彼の最後を飾るべく、新しい麻の帷子《かたびら》に新しい汗襦袢《あせじゅばん》と新しい帯と新しい白足袋とを添えて贈った。吉五郎はその晴衣を身につけて牢内から牽き出されると、それを見送る囚人一同は、日本一、親玉、石川五右衛門と、あらゆる讃美の声々をそのうしろから浴せかけた。
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(この話は北町奉行所の与力で
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