である。牢問二十四回にしてなお屈伏しない罪人に対して、奉行所では初めて真の拷問を加うることになったのである。釣り責は青細引で罪人の両手をうしろに縛って、地上より三寸六分の高さまで釣りあげるのである。法は頗《すこぶ》る簡単のようであるが、責めらるる者に取ってはこれが最大の苦痛であるという。吉五郎は十一日と二十一日にこの拷問をうけた。これで最初から二十六回となるわけである。しかも彼は依然として屈伏しないばかりか、更に疲労衰弱のけしきも見えないので、係りの役人たちもほとほと持余《もてあま》してしまった。さりとてみすみすその罪状明白なる罪人をそのままに打捨てておくわけにも行かないので、奉行所では会議の結果、更に最後の手段を取ることになった。
最後の手段とは、かれが自白の有無にかかわらず、かれに対して裁判を下すのである。今日でいう認定裁判で、江戸時代ではこれを察斗詰《さとづめ》といった。しかし未決の罪人を察斗詰に行うのは滅多にその例がないことで、奉行一人の独断で取計うことは出来なかった。それはどうしても老中の許可を得なければならないので、吟味掛りの与力一同からそれぞれに意見書を呈出した。いずれ
前へ
次へ
全18ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング