がありました。ここの娘は弁天様の申し子であったそうですが、ちょうど十八の時に不忍《しのばず》の池に入って池の主の大蛇になったと言い伝えられています。それが明治の初め頃まで不忍の池に棲《す》んでいたそうですが、明治になってから印旛沼《いんばぬま》の方へ移ってしまったといいます。
化物屋敷、これはとても数えきれません。一町内に一軒くらいずつはあったようです。まずその一例を挙げると、こんなものです。
朝顔屋敷、牛込の中山という旗本の屋敷ですが、ここでは絶対に朝顔を忌《い》んでいました。朝顔の花はもちろん、朝顔の模様、または朝顔類似のものでも、決して屋敷の中へは入れなかったということです。
それがために庭掃除をする仲間《ちゅうげん》が三人いて、夏になると毎日、庭の草を抜き捨てるのに忙しかったそうです。それは屋敷の中に朝顔の生えるのを恐れるからで、これほどに朝顔を忌む理由というのは、なんでも祖先のある人が妾《てかけ》を切った時に、妾の着ていた着物の模様に朝顔がついていたそうで、その後、この屋敷の中で朝顔を見ると、火事に遭うとか、病人がでるとか、お役御免になるとかで、きっと不祥のことが続いたということです。
百物語、これは槍、剣術の先生の宅などでよく催されましたが、一種の胆《きも》だめしです。これは御承知の通り、まず集まった人の数だけの灯心を行灯に入れて、順々に怪談を一席ずつ話して、一人の話が終わるごとに灯心を一本ずつ消してゆくのです。そして庭の淋しそうなところに、矢などを立てておいて、それを取りに行くそうですが、最後の灯心を消すと、なにか化物が出ると言い伝えられていました。
こんなのを一々数えていたら際限がありませんから、まずこのくらいのところにしておきましょう。
[#地付き](大正十一年二月、贅六堂刊『風俗江戸物語』所収)
底本:「伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集」学研M文庫、学習研究社
2002(平成14)年3月29日初版発行
底本の親本:「風俗江戸物語」贅六堂
1922(大正11)年2月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2008年9月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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