掛けて来て、どうしても孫を返せという。井戸屋でもしまいには持て余して、奉公人どもに言い付けて腕ずくで表へ突き出すと、そのばあさんが井戸屋の店を睨《にら》んで、覚えていろ、ここの家はきっと二代と続かないから……。そう言って帰ったぎりで、もう二度とは来なかったそうです。」
「それはいつごろの事なの。」と、お峰は不安らしく訊いた。経帷子の老婆のすがたが目先に浮かんだからである。
「今も言う通り、何代前のことか知りませんが、よっぽど遠い昔のことで、それから六、七代も過ぎているそうです。」
「それじゃあ、二代は続かせないと言ったのは、嘘なのね。」と、お峰はやや安心したように言った。
「ところが、まったく二代は続いていないのです。井戸屋の家には子育てがない。子供が生れてもみんな死んでしまうので、いつも養子に継がせているそうです。それですから、井戸屋の家はあの通り立派に続いているけれども、代々の相続人はみな他人で、おなじ血筋が二代続いていないのです。」
「そんなら身内から養子を貰《もら》えばいいじゃありませんか。そうすれば、血筋が断える筈《はず》がないのに……。」
「それがやっぱりいけないのです。」と、三之助はさらに説明した。「身内から貰った養子は自分の実子と同じように、みんな死んでしまうので、どうしても縁のない他人に継がせる事になるのだそうです。」
「変だねえ。」
「変ですよ。」
「そのばあさんというのが祟《たた》っているのかしら。」
「まあ、そういう噂ですがね。」
こんなことを言うと、折角の縁談に水をさすようにも聞えるので、いっそ黙っていようかと思ったが、知っていながら素知らぬ顔をしているのもよくないと思い直して、ともかくもこれだけのことをお耳に入れて置くのであるから、かならず悪く思って下さるなと、三之助は言訳をして帰った。
それと入れ違いに由兵衛が帰って来たので、お峰は早速にその話をすると、由兵衛も眉をよせた。淀橋と芝と遠く離れているので、井戸屋にそんな秘密のあることを由兵衛夫婦はちっとも知らなかったのである。三之助の話を聞いただけでは、そのばあさんが一途《いちず》に井戸屋を恨むのは無理のようにも思われるが、今更そんなことを論じても仕様がない。ともかくそんな呪《のろ》いのある家に、可愛い娘をやるかやらないかが、差しあたっての緊急問題であった。
「万屋の伯父さんはそんな事を知らないのでしょうかねえ。」と、お峰は疑うように言い出した。
「といって、三之助もまさか出たらめを言いはすまい。ほかの事とは違うからな。」と、由兵衛も半信半疑であった。
万屋はお峰の伯父である。三之助は由兵衛の弟である。お峰としては伯父を信じ、由兵衛としては弟を信じたいのが自然の人情で、夫婦のあいだに食い違ったような心持がかもされたが、それで気まずくなるほどの夫婦でもなかった。まずその疑いを解くために、由兵衛は弟をたずねて再び詳しい話を聞き、お峰は伯父をたずねて真偽を確かめることにして、その翌日の早朝に夫婦は山の手へのぼった。
二人は途中で引分かれて、由兵衛は代々木の三河屋へ行った。お峰は大木戸前の万屋をたずねた。万屋の伯父はお峰の詰問を受けてひどく難渋《なんじゅう》の顔色を見せたが、結局ため息まじりでこんな事を言い出した。
「おまえ達がそれを知った以上は、もう隠しても仕方がない。実は井戸屋にはそんな噂がある。と言ったら、なぜそんな家へ媒妁をしたと恨まれるかも知れないが、それには苦しい訳がある。」
伯父は商売の手違いから、二、三年来その家運がおとろえて、同商売の井戸屋には少なからぬ借財が出来ている。現にこの歳の暮れにも井戸屋から相当の助力をして貰わなければ、無事に歳を越すことも出来ない始末である。万一この縁談が破れたなら、わたしは井戸屋に顔向けが出来ないばかりでない。ここで井戸屋に見放されたら、この年の瀬を越しかねて数代つづいた万屋の店を閉めなければならない事にもなる。そこを察して勘弁してくれと、伯父は老いの眼に涙をうかべて口説いた。
これでいっさいの事情は判断した。いやな噂が聞えているために、大家の井戸屋にも嫁に来るものがない。そこへ自分の姪の娘を縁付けて、借財の始末や商売上の便利を図ろうとするのが、万屋の伯父の本心であった。つまりは近江屋の娘を生贄《いけにえ》にして、自分の都合のよいことをたくらんだのである。それを知って、お峰は腹立たしくなった。あまりにひどい仕方であると伯父を憎んだ。しかもこの縁談を打破れば万屋の店はつぶれるというのである。伯父ばかりでなく、伯母までが言葉を添えて、涙ながらに頼むのである。
こうなると、女の心弱さに、お峰は伯父を憎んでばかりいられなくなった。結局は亭主とも相談の上ということで、かれは帰って来た。やがて由兵衛も帰って来
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