から、私の頭が怪しいという理窟になる。わたしは女を怪《あやし》むよりも、自分を怪まなければならない事になった。
それを友達に話すと、君は精神病者になるなぞと嚇された。しかもそんな例は後にも先にもただ一度で、爾来四十余年、幸いに蘆原将軍の部下にも編入されずにいる。
三 三宅坂
次は怪談でなく、一種の遭難談である。読者にはあまり面白くないかも知れない。
話はかなりに遠い昔、明治三十年五月一日、私が二十六歳の初夏の出来事である。その日の午前九時ごろ、私は人力車に乗って、半蔵門外の堀端を通った。去年の秋、京橋に住む知人の家に男の児《こ》が生まれて、この五月は初の節句であるというので、私は祝物の人形をとどけに行くのであった。私は金太郎の人形と飾り馬との二箱を風呂敷につつんで抱えていた。
わたしの車の前を一台の車が走って行く。それには陸軍の軍医が乗っていた。今日の人はあまり気の附かないことであるが、人力車の多い時代には、客を乗せた車夫がとかくに自分の前をゆく車のあとに附いて走る習慣があった。前の車のあとに附いてゆけば、前方の危険を避ける心配がないからである。しかもそれがために
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