黙って歩き出すと、女はやはり附いて来た。私は気味の悪い道連れ(?)を後ろに脊負いながら、とうとう三宅坂下まで辿り着いたが、女は河獺にもならなかった。坂上の道は二筋に分れて、隼町の大通りと半蔵門方面とに通じている。今夜の私は、灯の多い隼町の方角へ、女は半蔵門の方角へ、ここで初めて分れ分れになった。
先《ま》ずほっ[#「ほっ」に傍点]として歩きながら、更に考え直すと、女は何者か知れないが、暗い夜道のひとり歩きがさびしいので、恐らく私のあとに附いて来たのであろう。足の早いのが少し不思議だが、私にはぐれまいとして、若い女が一生懸命に急いで来たのであろう。更に不思議なのは、彼女は雨の夜に足駄を穿かないで、素足に竹の皮の草履をはいていた事である。しかも着物の裾をも引き揚げないで、湿《ぬ》れるがままにびちゃびちゃ[#「びちゃびちゃ」に傍点]と歩いていた。誰かと喧嘩《けんか》して、台所からでも飛び出して来たのかも知れない。
もう一つの問題は、女の着物が暗い中ではっきり[#「はっきり」に傍点]と見えたことであるが、これは私の眼のせいかも知れない。幻覚や錯覚と違って、本当の姿がそのままに見えたのである
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