いわゆる立ちン坊も四、五人ぐらいは常に集まっていた。下町から麹町四谷方面の山の手へ上るには、ここらから道路が爪先あがりになる。殊《こと》に眼の前には三宅坂がある。この坂も今よりは嶮《けわ》しかった。そこで、下町から重い荷車を挽いて来た者は、ここから後押しを頼むことになる。立ちン坊はその後押しを目あてに稼ぎに出ているのであるが、距離の遠近によって二銭三銭、あるいは四銭五銭、それを一日に数回も往復するので、その当時の彼らとしては優に生活が出来たらしい。その立ちン坊もここで氷水を飲み、あま酒を飲んでいた。
 立ちン坊といっても、毎日おなじ顔が出ているのである。直《す》ぐ傍には桜田門外の派出所もある。したがって、彼らは他の人々に対して、無作法や不穏の言動を試みることはない。ここに休んでいる人々を相手に、いつも愉快に談笑しているのである。私もこの立ちン坊君を相手にして、しばしば語ったことがある。
 私が最も多くこの柳の蔭に休息して、堀ばたの凉風の恩恵にあずかったのは、明治二十年から二十二年の頃、即ち私の十六歳から十八歳に至る頃であった。その当時、府立の一中は築地の河岸、今日の東京劇場所在地に移っ
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