して発見された。かれは床の間の上に這いあがって、女学生の化粧道具を入れた小さいオペラバックの上にうずくまっていた。そのバックは児島亀江のものであった。蟹は本多の手につかまって、低い垣の外へ投り出された。
 蟹の始末もまず片付いて、男三人は十時ごろに蚊帳にはいった。となり座敷もほとんど同時に寝鎮まった。宵のうちは涼しかったが、夜のふけるに連れてだんだんに蒸し暑くなって来たので、遠泉君はひと寝入りしたかと思うと眼がさめた。襟ににじむ汗を拭いて蒲団の上に腹這いながら煙草を吸っていると、となりに寝ていた本多も眼をあいた。
「いやに暑い晩だね。」と、彼は蚊帳越しに天井を仰ぎながら言った。「もう何時だろう。」
 枕もとの懐中時計を見ると、今夜ももう午前二時に近かった。いよいよ蒸して来たので、遠泉君は手をのばして団扇を取ろうとする時に、となり座敷の障子がしずかにあいて、二人の女がそっと廊下へ出てゆくらしかった。遠泉君も本多も田宮の話をふと思い出して、たがいに顔を見あわせた。
「風呂へ行くんじゃあないかしら。」と、本多は小声で言った。
「そうかも知れない。」
「丁度ゆうべの時刻だぜ。田宮が湯のなかで女の首を見たというのは……。」
「して見ると、となりの連中は混みあうのを嫌って、毎晩夜なかに風呂へ行くんだ。」と、遠泉君は言った。「田宮はゆうべも丁度そこへ行き合わせたんだ。湯のなかに女の首なんぞが浮き出して堪まるものか。」
「田宮を起こして、今夜も嚇かしてやろうじゃないか。」
「よせ、よせ。可哀そうによく寝ているようだ。」
 二人は団扇をつかいながら煙草をまた一本吸った。一つ蚊帳のなかに寝ている田宮が急にうなり出した。
「おい、どうした。何を魘《うな》されているんだ。」
 言いながら本多は彼の苦しそうな寝顔をのぞくと、田宮は暑いので掻巻《かいま》きを跳ねのけていた。仰向けに寝て行儀悪くはだけている浴衣の胸の上に小さい何物かを発見したときに、本多は思わず声をあげた。
「あ、蟹だ。さっきの蟹が田宮の胸に乗っている。」
 これと殆んど同時に、風呂場の方角でけたたましい女の叫び声が起こった。家内が寝鎮まっているだけに、その声があたりにひびき渡って、二人の耳を貫くようにきこえた。
「風呂場のようだね。」
 風呂場には隣りの女ふたりがはいっていることを知っているので、一種の不安を感じた遠泉君はすぐに飛び起きて蚊帳を出た。本多もつづいて出た。二人はまず風呂場の方へ駈けてゆくと、一人の女が風呂のあがり場に倒れていた。風呂の中にはなんにも見えなかった。ともかくも水を飲ませてその女を介抱しているうちに、その声を聞きつけて宿の男や女もここへ駈け付けて来た。
 女は表二階に滞在している某官吏の細君であった。この人も混雑を嫌って、正午ごろに一度、夜なかに一度、他の浴客の少ない時刻を見はからって入浴するのを例としていた。今夜はいつもよりも少しおくれて丁度二時を聞いたころに風呂場へ来ると、湯のなかに二人の若い女の首が浮いていた。自分と同じように夜ふけに入浴している人達だと思って、別に怪しみもしないで彼女も浴衣をぬいだ。そうして、湯風呂の前に進み寄った一刹那に、二つの首は突然消えてしまったので、彼女は気を失う程におどろいて倒れた。
 ゆうべの田宮の話が思い出されて、遠泉君はなんだか忌な心持になった。しかし本多はそれが迷信でも化け物でもない、自分のとなり座敷の女ふたりが確かに入浴していたに相違ないと言った。それにしても人間ふたりが突然に消え失せる筈はないので、風呂番や宿の男どもが大きい湯風呂のなかへ飛び込んで隅々を探してみると、若い女ふたりが湯の底に沈んでいるのを発見した。女ふたりは確かに入浴していて、あたかもかの細君がはいって来た途端に、どうかしたはずみで湯の底に沈んだらしい。二つの首が突然に消え失せたように見えたのは、それがためであった。すぐに医師を呼んでいろいろと手当てを加えた結果、ひとりの女は幸いに息を吹き返したが、ひとりはどうしても生きなかった。
 生きた女は古屋為子であった。死んだ女は児島亀江であった。為子の話によると、ふたりが湯風呂の中にゆっくり浸っていると、なんだか薄ら眠いような心持になった。と思う時に、入口の戸をあけて誰かはいって来たらしいので、湯気の中から顔をあげてその人を窺おうとする一刹那、自分と列んでいる亀江が突然に湯の底へ沈んでしまった。あっ[#「あっ」に傍点]と思うと、自分も何物にか曳かれたように、同じくずるずると沈んで行った。それから後は勿論なんにも知らないというのであった。

          三

 亀江の検死は済んで、死体は連れの三人に引き渡された。三人はすぐに東京へ電報を打って、その実家から引取り人の来るのを待っていた。為子は幸いに生き返っ
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