い種をさがし出そうと考えている。そこで、かの友蔵と幸吉も絶えず新しいものに眼をつけていると、嘉永四年四月十一日の朝、荏原郡大井村、すなわち今の品川区|鮫洲《さめず》の海岸に一匹の鯨が流れ着いた。」
「大きい鯨ですか。」
「今度のは児鯨で余り大きくない。五十二年前の寛政十年五月|朔日《ついたち》に、やはり品川沖に大きい鯨があらわれた。これは生きて泳いでいたのを、土地の漁師らが大騒ぎをして捕えたということだが、その長さは九|間《けん》一尺もあったそうだ。今度は鯨は死んでいて、長さは三間余りであったというから、寛政の鯨よりも遙かに小さい。それでも鮫洲で捕れた鯨といえば、観世物にはお誂え向きだから、耳の早い興行師仲間はすぐに駈けつけた。友蔵と幸吉も飛んで行った。
鮫洲の漁師たちも総がかりで、死んだ鯨を岸寄りの浅いところへ引揚げたものの、これまで鯨などを扱ったことがないから、どう処分していいか判らない。ともかくも御代官所へ届けるなぞと騒いでいる。それを聞き伝えて見物人が大勢あつまって来る。友蔵兄弟が駈けつけた頃には、ほかに四、五人の仲間が来ていた。代官所の検分が済めば、鯨は浜の者の所得になるの
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