死なれても、商売の方が繁昌するので、友蔵もまあいい心持になっている。それで済ませて置けば無事であったが、おいおい正月も近づくので、ここでいっそう馬力《ばりき》をかけて宣伝しようという料簡から、この虎の子は御上覧《ごじょうらん》になったものだと吹聴した。千里の藪で生捕りましたなぞは嘘でも本当でもかまわないが、御上覧というと事面倒になる。すなわち将軍が御覧になったというわけで、実に途方もない宣伝をしたものだ。それが町奉行所の耳にはいって、関係者一同は厳重に取調べられた。宣伝に事欠いて、両国の観世物に将軍御上覧の名を騙《かた》るなぞとは言語道断、重々の不埓とあって、友蔵と幸吉の兄弟は死罪に処せられるかという噂もあったが、幸いに一等を減じられて遠島を申渡された。他の関係者は追放に処せられた。」
「なるほど大事件でしたね。」
「友蔵の小屋は破却だ。観世物小屋はいつでも取毀せるように出来ているのだから、破却は別に問題にもならないが、そのあき小屋のなかに首を縊《くく》っている男の死体が発見されたので、又ひと騒ぎになった。それはかの由兵衛で、一旦姿をかくしたものの、お常殺しの罪は逃れられないと覚ったのか。御上覧一件が大問題になって、自分も何かの係り合いになるのを恐れたのか。いずれにしても、自分に因縁のある此の小屋を死場所に選んだらしい。問題の猫はゆくえ知れずという事になっている。おそらく誰かがぶち殺して、大川へでも流してしまったのだろう。
 一匹の虎の子のために、お常と由兵衛は変死、友蔵と幸吉は遠島、こう祟られては化猫よりも怖ろしい。虎の話は先ずこれでおしまいだ。君のことだから、いずれ新聞か雑誌にでも書くのだろうが、春の読物にはおめでたくないからね。」
「いえ、結構です。ありがとうございました。」
「おや、もう帰るのか。君もずいぶん現金だね。はははは。」
[#地から2字上げ]昭和十二年十二月作「サンデー毎日」



底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
   1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
   1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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