まの御利益《ごりやく》だろうとお常はいう。
鮫洲の鯨とちがって、買値はたった一朱だから、損をしても知れたもので、まったく掘出し物であったかも知れない。
なにしろ珍しい猫に相違ないのだから、猫は猫として正直に観せればよかったのだ。これは野州庚申山で生捕りましたる山猫でござい位のことにして置けば無事だったのだが、そこが例のインチキで、弟の幸吉が飛んだ商売気を出した。というのは、それが三毛猫で、毛色が虎斑のように見える。それから思い付いて、いっそ虎の子という事にしたらどうだろうと発議すると、成程それがよかろう、猫よりも虎の方が人気をひくだろうと、友蔵夫婦も賛成した。
そこで、これは唐土千里の藪で生捕った虎の子でござい……。
いや、笑っちゃあいけない、本当の話だ。表看板には例の国姓爺《こくせんや》が虎狩をしている図をかいて、さあ、さあ、評判、評判と囃し立てることになった。」
「でも、虎と猫とは啼き声が違うでしょう。」
「さあ、そこだ。虎と猫とは親類すじだが啼き声が違う。いくら虎の子でもニャアとは啼かない。それは友蔵らもさすがに心得ているから、抜目なく例のインチキ手段を講じた。まず舞台一面を本物の竹藪にして、虎狩の唐人どもがチャルメラや、銅鑼《どら》や鉦《かね》を持って出て、何かチイチイパアパア騒ぎ立てて藪の蔭へはいると、そこへ虎の子を曳いて出る。虎の首には頑丈な鉄の鎖がつないである。
藪のかげではチャルメラを吹き、太鼓や銅鑼や鉦のたぐいを叩き立てるので、虎猫もそれにおびやかされて声を出さない。万一それがニャアと啼きそうになると、それを紛らすように、銅鑼や鉦をジャンジャンボンボンと激しく叩き立てるのだ。いや、笑っちゃいけないというのに……。昔の両国の観世物なぞは大抵そんなものだ。」
「その観世物は当りましたか。」
「当ったそうだ。おまけにこの虎猫は奥山の鯨とちがって、生きているのだから腐る気づかいはない。せいぜい鰹節か鼠を食わせて置けばいいのだ。それで毎日大入りならば、こんなボロイ商売はない。
友蔵兄弟も大よろこびで、この分ならば結構な年の暮が出来ると、お常も共に喜んでいると、ここに一つの事件が出来《しゅったい》した。
かの奥山の由兵衛は、鯨で大損をしてから、いわゆるケチが付いて、どうも商売が思わしくない。その後にもいろいろの物を出したが、みんなはずれる。したが
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