たので、子役時代からでは七十余年間の舞台を踏んでいたといわれる。その間で彼が活動したのは明治時代、殊《こと》にその光彩を放ったのは、明治十五年十一月、四代目沢村源之助を襲名して名題俳優の一人に昇進して以来、明治二十四年の七月、一旦《いったん》東京を去って大阪へ下るまでの十年間であった。即ち彼が二十四歳の冬より三十三歳の夏に至る若盛りであった。
今日では劇界の情勢も変って、このくらいの年配の俳優は、いわゆる青年俳優として取扱われ、大舞台の上に十分活躍するの機会を恵まれない傾向があるが、明治の中期まではそんな事はなかった。青年俳優でも何でも相当の技倆ある者は大舞台に活躍する事を許されていた。その点に於て、青年時代の源之助は大いに恵まれていたともいい得るかも知れない。
江戸末期より明治の初年に亘《わた》って、名女形として知られた八代目岩井半四郎は、明治十五年二月、五十四歳を以て世を去った。源之助がその年の冬、四代目源之助を襲名したのも、彼を以て半四郎の候補者とする劇場側の意図であったらしい。たとい半四郎には及ばずとも、その容貌も美しく、音声も美しい源之助が、半四郎の後継者と認められたのは
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング