綺麗さつぱりと云つてくれねえのだ。柄にもねえ切口上で、意地の惡い御殿女中のやうに、うはべは美しく云ひまはしながら、腹には刺《とげ》を持つてゐるのが面白くねえ。第一、お禮に來たとはなんの事だ。こつちはお前にあやまりこそすれ、おめえに禮を云はれる覺えはねえのだ。
勘太郎 (あざ笑ふ。)それはおまへさんの僻《ひが》みといふものだ。お禮と云つたのが氣に入らなければ、わたしが無事に娑婆へ出て來た身祝ひだと思つてください。
助八 いけねえ、いけねえ。おれの持つて來た酒だからと云つて、まさがに毒が這入つてゐるわけでもねえなぞと、忌《いや》なことを云ふぢやあねえか。酒の毒よりもおめえの口に毒がある。それを默つて聽いてゐられるものか。折角のおこゝろざしだが、兄きに代つておれが斷るから、こんなものは持つて歸つて貰ひてえ。
勘太郎 それでは喧嘩だ。もう少し穩かに口をきいて貰ひたいな。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(權三の家の縁の下から一匹の犬が出て來て、勘太郎をみて凄《すさ》まじく吠えながら飛びかゝらうとする。勘太郎は再び兇暴の相をあらはして屹と睨む。犬はます/\吠える。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
雲哲 又のら大が出て來やあがつたか。
願哲 貴樣も殺されるな。叱《し》つ、叱つ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(ふたりに逐はれて犬は上のかたへ逃げ去る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おかん (云譯らしく。)あの野良犬にやあ困るねえ、だれを見てもすぐ吠えるんだから。
權三 犬だつて可愛くねえ奴にやあ吠《ほ》えるのだらう。よく考へてみると、成程こりやあ八の云ふ通りで、折角のおこゝろざしは有難てえが、どうもおまへさんからこんな物を貰ひたくねえ。お禮にしてもお祝ひにしても、これは持つて歸つて貰はう。おい、助。さつきから無暗にあやまつて、損をしたやうだぜ。
助十 おれもさう思つてゐるのだ。(勘太郎に。)まつたくおめえの云ひ草は御殿女中で、忌《いや》にチク/\當るやうだ。堪忍しねえなら堪忍しねえ、恨みを云ひに來たなら恨みを云ひに來たとはつきり[#「はつきり」に傍点]云つてくれ。面當てらしく酒や肴を持つて來て、眞綿に針で人をいぢめようとするのは、江戸つ子らしくねえ仕方だ。
勘太郎 なるほどお前さん達は江戸つ子だ。(又あざ笑ふ。)上方者《かみがたもの》の尻押しをして、江戸つ子にぬれ衣《ぎぬ》をきせるなぞとは、本當の江戸つ子でなければ出來ない藝だよ。
助十 やかましいやい。手前のやうな江戸つ子があるから、本當の江戸つ子の面《つら》が汚れるのだ。こんなものは持つて歸れ。(角樽を投げ出す。)
勘太郎 おまへさん達はあやまつてゐるのか、喧嘩を賣るのか。
權三 もう斯うなりやあ喧嘩だ、喧嘩だ。
おかん まあ、お前、お待ちよ。
權三 えゝ、牢へ入れられようが、首が飛ばうが構はねえ。こんな野郎は半殺しにして遣《や》らなけりやあ氣が濟まねえのだ。
おかん また喧嘩を始めちやあいけない。お止《よ》しよ。止しておくれよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(おかんは頻りに權三を支へる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
勘太郎 近いうちにお咎めがあると思つて、みんな自棄になつてゐるのか。そんな病犬《やまいぬ》の相手になつて、折角明るくなつた體をもう一度暗いところへ遣られては堪らない。はゝゝゝゝ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(勘太郎は笑ひながら下のかたへ行きかゝると、助十は無言で飛びかゝつて、勘太郎の横面をなぐる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
勘太郎 えゝ、なにをしやあがるのだ。氣ちがひめ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(勘太郎は又もや人相を一變して、左右を睨む。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
勘太郎 おとなしくしてゐりやあ増長しやあがつて、好加減にしろ。豐島町の勘太郎を知らねえか。この大哥《あに》さんと喧嘩をするなら、からだの骨から鍛へて來い。
助八 こつちは生きてゐる人間だ。猿の喉を絞めるのとは譯が違ふぞ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(助八は勘太郎にむしや振り付けば、勘太郎は突き退ける。助十は又むしやぶり付く。權三も留められるのを振切つて飛びかゝる。三人は遂に勘太郎をねぢ倒して袋叩きにする。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
權三 おい、與助。こいつはおめえの猿のかたきだ。みんなと一緒になぐれ、なぐれ。
雲哲 なるほど猿のかたき討か。
願哲 これも長屋の附合だ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(與助は竹の鞭を把り、雲哲等も一緒に勘太郎をなぐる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
勘太郎 さあ、どいつも皆んな下手人だぞ。殺すなら殺せ。立派に殺してくれ。
權三 こいつを歸すと面倒だ。ふん縛つてしまへ。
助十 八。このあひだの繩を持つて來い。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(助八は奧へかけ込んで麻繩を持つて來る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おかん 縛つてもいゝのかえ。
助八 よくつても惡くつても構ふものか。毒食はば皿までだ。
權三 さあ、早く縛れ、縛れ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(助八は勘太郎を縛る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
雲哲 どうも仕置《しおき》が暴くなつて來た。縛つてしまふのはちつとひどいな。
願哲 うか/\してゐて、こつちまでが係り合ひになつてはならない。長屋の附合も先づこのくらゐにして置かうか。
雲哲 これから先、何事が起つても、おれたちは知らないぞ、知らないぞ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(雲哲、願哲は下のかたへ逃げ去る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
與助 かたき討が濟んだら、わたしもこゝらにゐない方がよささうだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(與助も猿をかゝへて、おなじく路地の外へ逃げてゆきかけしが、又引返して來る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
與助 これ、お役人が來たやうだぞ。
權三 なに、お役人が來た。
助十 そいつはいけねえ。どうしよう。
助八 どうしよう。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(三人はうろたへながら四邊《あたり》を見まはし、助十は駕籠に眼をつける。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
助十 これだ、これだ。
權三 ちげえねえ、早くしろ、早くしろ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(三人は繩からげの勘太郎を引摺つて駕籠のなかへ押込み、外から垂簾《たれ》をおろす。おかんは不安らしく表をのぞいてゐると、路地の口より石子伴作は捕方《とりかた》の者ふたりを連れ、雲哲と願哲を先に立てて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伴作 左官の勘太郎は確かにこの裏にまゐつてゐるな。
雲哲 長屋の者と喧嘩をして居ります。
伴作 喧嘩をいたしてゐるか。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(伴作はつか/\と進み來る。權三夫婦、助十兄弟は薄氣味惡さうにあとへ退る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伴作 豐島町の左官屋勘太郎はいづれへまゐつた。
四人 え。(顏をみあはせる。)
伴作 こゝにまゐつてゐる筈ではないか。
權三 (曖昧に。)いえ、そんな者は……。
伴作 (雲哲等をみかへる)たしかに來てゐると申したな。
雲哲 はい。その勘太郎は……。
助十 (あわてて眼で制す。)その勘太郎は……。もう歸りましてございます。
伴作 (うたがふやうに。)歸つたか。
願哲 でも、たつた今までこゝにゐた筈だが……。
權三 なに、歸つたよ、歸つたよ。この通り、どこにもゐねえぢやあねえが。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(雲哲と顧哲は不審さうにそこらを見まはしてゐると、駕籠のなかにて勘太郎が叫ぶ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
勘太郎 もし、お役人さま。勘太郎はこれに居ります。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(權三、助十等はぎよつとする。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伴作 (捕方をみかへる。)それ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(捕方は駕籠の垂簾をあけて、勘太郎をひき出す。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伴作 この者にはだれが繩をかけた。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(權三等はだまつてゐる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
伴作 御用によつて勘太郎を召捕りにまゐつたところ、先廻りをして誰が繩をかけた。
權三 では、勘太郎はお召捕りになるのでございますか。
伴作 昨日一旦ゆるして歸されたは、深い思召《おぼしめ》しのあることで、かれの罪状いよ/\明白と相成つて、再びお召捕りに相成るのだ。
助十 いや、さうでございましたが。(安心して。)實はわたくしが縛りました。
權三 わたくしも縛りました。
助八 わたくしも手傳ひました。
伴作 おゝ、さうであつたか。委細はあらためて申し聞かせる。(捕方に。)それ、引立てい。
勘太郎 おかまひないと申渡されたわたくしが、どうして二度のお繩を頂戴いたすのでございませうか。
伴作 兎《と》やかう申すな。尋常に立て、立て。
勘太郎 (強情に。)いえ、恐れながら申上げます。
捕方 えゝ、立て、立て。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(伴作は先に立ち、捕方は無理に勘太郎を引立てて下のかたに去る。一同は呆氣《あつけ》に取られたやうにあとを見送る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
權三 なんだか狐に化かされたやうだな。
與助 やつぱり勘太郎はお召捕りになるのか。それといふのも、おれの大事の猿を殺した報《むく》いかも知れないぞ。
おかん いくら猿だつて無暗にひねり殺すやうな奴だもの、人間だつて殺し兼ねやあしないよ。
雲哲 さうだらうなあ、むやみにあいつに繩をかけて、どうなることかと心配してゐたが、これが過《あやま》ちの功名と云ふのかな。
願哲 かうなるとおまへ達はお叱りどころか、却つてお褒めにあづかるかも知れないぞ。
おかん お褒めにあづからないまでも、お叱りがなければ結構さ。お役人が來たと聞いた時には、わたしは本當にぞつとしたよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(路地の口より家主六郎兵衞と彦三郎出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おかん あら、大屋さんが歸つて來なすつた。
六郎 おゝ、みんなこゝにゐたか。まあ、まあ、めでたい、目出たい。わたしもこれで重荷をおろした。
彦三郎 みなさんのお蔭樣で、わたくしの本望もやうやく達しまして、こんな嬉しいことはござりません。
權三 本望が達したかえ。いや、それで判つた。今こゝへお役人が來て、勘太郎を召捕つて行きましたよ。
彦三郎 では、勘太郎はもう召捕られましたか。
助十 (自慢らしく)おれ達がふん縛つてお役人に引渡して遣つたよ。
六郎 いや、それは早手廻しであつた
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング