、正直に云はなければならないぞ。まつたく其奴は勘太郎に似てゐたのか。
助十 かうなりやあ俺ももう自棄《やけ》だ。(大きな聲で。)そいつは豐島町の勘太郎、左官屋の勘太郎、たしかにあの勘太郎に相違ねえのだ。
六郎 これ、大きな聲をするなよ。
彦三郎 あゝ、ありがたい、有難い。お二人さんはわたくしに取つて神樣と云はうか、佛樣と申さうか。もし、もし、この通りでござります。(手をあはせて權三と助十を拜む。)
おかん それにしても、お前さん達の氣が知れないぢやあないか。それほど判つてゐるならば、なぜ早くそのことを云ひ出して、彦兵衞さんの無實の災難を救つて上げなかつたんだらうねえ。
權三 そのときに氣がつけば格別だが、あとになつちやあ無證據だ。うつかりしたことが云はれるものか。どんな係り合になるかも知れねえ。
六郎 それで二人ともに默つてゐたのか。横着者にも似合はない、氣の小さい奴等だな。
おかん 彦兵衞さんに疑ひのかゝつたのは、どういふわけだかよくは知らないけれど、不斷から正直者のあの人がお繩にかゝつて連れて行かれるのを、一つ長屋内で見てゐながら、今まで默つてゐるといふことがあるものかね。お前さん達は随分不人情だよ。
六郎 まつたく女房のいふ通りだ。せめておれだけにも内々で話して置いおくれゝば、なんとか仕樣のあつたものを……。(叱るやうに。)それほどの事を知つてゐながら、今まで口をふいて默つてゐるとは何のことだ。つまり貴樣達が彦兵衞さんを見殺しにしたやうなものだ。これ、彦三郎さん。お前さんのお父さんのかたきはこの權三と助十だ。なんの、禮をいふことがあるものか。わたしが證人になつてやるから、こゝで立派にかたき討をしなさい。
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(權三と助十はびつくりする。)
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權三 と、とんでもねえ。なんでおれ達が仇なものか。
助十 かたきと云ふのは勘太郎だ。
權三 あの勘太郎だ。
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(云ひながら二人は逃げかゝる。)
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六郎 待て、待て。貴樣たちが逃げたからと云つて濟むわけのものではない。かたき討は免《ゆる》してやる代りに、その罪ほろぼしに彦三郎さんの味方をするか。
權三 (助十と顏を見あはせる。)あい、あい。きつと味方を致します。
六郎 よし、よし。それならば仕樣がある。(上のかたに向ひて。)おい、おい。誰か來てくれ。早く來てくれ。
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(上のかたより助八を先に、雲哲と願哲出づ。)
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六郎 おゝ、助八。おまへの家に麻繩のやうなものは三本ほどないか。
助八 さあ、三本はどうだかな、
おかん 内にも一本ぐらゐはありましたよ。
助八 なにしろ探して來ませう。
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(助八は我家に入る。おかんも奧に入る。)
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雲哲 用はもうそれだけかね。
六郎 いや、おまへ達もそこにゐてくれ。まだ外にも用があるのだ。
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(おかんは奧より麻繩一本持ちて出づ。)
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おかん これで間に合ひますかえ。
六郎 よし、よし。(繩をうけ取る。)
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(助八も奧より麻繩二本を持ちて出づ。)
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助八 大屋さん。これでいゝかね。
六郎 むゝ、これで丁度三本揃つた。
助八 そこで、これをどうしなさるのだ。
六郎 人間三人を縛《しば》るのだ。
一同 え。
權三 三人といふのは、誰と誰とを縛るんですね。
六郎 先づ貴樣を縛る。
權三 え。
六郎 それから助十を縛る。
助十 え。
六郎 それから彦三郎さんを縛る。
彦三郎 わたくしもお繩にかゝるのでござりますか。
六郎 この三人を數珠《じゆず》つなぎにして、南の御奉行所へ牽《ひ》いて行くのだ。
助八 いけねえ、いけねえ。あとの二人はどんな惡いことをしたか知らねえが、おれの兄貴に限つちやあ繩をかけられるやうな覺えはねえ筈だ。ふだんから兄弟喧嘩こそしてゐるが、おれに取つちやあ唯つた一人の兄貴だ。いはれも無しに繩附きにされて堪《たま》るものか。なんでおれの兄貴を縛るのだ。その譯をいへ。譯をいへ。
六郎 さうむき[#「むき」に傍点]になつて怒るなよ。これには譯のあることだ。こゝに
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