に、朝から酒を買への何のと勝手な熱ばかり吹くから、あたしが少し口答へをすると、すぐに生かすの殺すのといふ騷ぎさ。愛想が盡きるぢやあありませんか。
與助 どつちの贔屓《ひいき》をするでもないが、どうもそれは御亭主の方がよくないやうだな。
權三 なぜ惡いんだよ。
與助 なぜと云つて、おまへは町内あづけの身の上ではないか。それが朝から酒を飮んで、女房を生かすの殺すのと騷ぎ立てて、そんなことがお上の耳に這入つたらどうするのだ。今度の一件の落着《らくちやく》するまでは、せい/″\謹愼してゐなければなるまいではないか。
おかん それをあたしが云つて聞かせても、馬の耳に念佛なんですよ。
權三 うるせえ。引込んでゐろ。(すこし眞面目になつて。)なるほど、おめえの云ふ通り、こんなことが聞えたら好くねえだらうね。
與助 それはよくないに決まつてゐる。それだから、まあおとなしくしてゐなさいと云ふのだ。
權三 むゝ。(いよ/\悄《しよ》げて。)どうも詰らねえことになつてしまつたな。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(この時、隣の助十の家でも怒鳴る聲がきこえる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
助十 この野郎、どうしても唯は置かねえぞ。
助八 喧嘩なら廣いところへ出て來い。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(臺所の被れ障子を蹴放して、助八は擂粉木《すりこぎ》を持ちて跳《をど》り出づ。つゞいて助十は出刃庖丁《でばぼうちやう》を持ちて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おかん あら、隣でも大變だよ。
與助 あつちは刃物を特つてゐる。これはあぶない。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(與助は猿を縁におろして、怖々《こは/″\》ながら留めようとしてゐると、上のかたより願人坊主の雲哲と願哲は商賣に出る姿にて、住吉踊の傘をかつぎて出で、これを見て騷ぐ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
雲哲 やあ、やあ、又はじめたのか。
願哲 刃物をふりまはしては劍難《けんのん》だ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(助十と助八は捨臺詞《すてぜりふ》にて鬪つてゐる。雲哲と願哲は思案して、權三の家の土間から駕籠を持ち出し、與
前へ 次へ
全42ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング