がへにも出られず、この素頭《すあたま》をじり[#「じり」に傍点]/\と照りつけられては、眼がくらみさうになる。
雲哲 まつたく今日の井戸がへは焦熱《せうねつ》地獄だ。
おかん お前さん達もあたしのやうに手拭でつつんでゐれば好いぢやありませんか。
願哲 かういふ時には女は格別、男は鉢卷でないと何《ど》うも威勢がよくないからな。
助八 はゝ、笑はせるぜ。鉢卷をしたつて、すつとこ[#「すつとこ」に傍点]被《かぶ》りをしたつて、願人坊主の相場がどう上るものか。
おかん 與助さん。おまへさんもお飮みでないかえ。(茶碗を出す。)
與助 (進みよりて丁寧に會釋する。)はい、はい。いや、これはありがたい。實はさつきから喉《のど》が渇《かわ》いてひり[#「ひり」に傍点]/\してゐました。
助八 いくらおめえの商賣でも、長屋の井戸がへにえて[#「えて」に傍点]公を背負《しよ》つて出ることもあるめえぢやあねえか。
與助 それがね。(猿をみかへる。)なにしろ這奴《こいつ》がよく馴染《なじ》んでゐるのでね。ちつとの間でもわたしの傍を離れないのですよ。
おかん 畜生でも可愛いもんだねえ。
與助 可愛いもんですよ。
助八 ぢやあ、おれも可愛がつて遣《や》らうか。(猿のあたまを撫でる。)やい、えて公。手前も一緒に出て來ながら、親方の背中で高見の見物をきめてゐる奴があるものか。人並はづれて長え手を持つてゐるんぢやあねえか。みんなと一緒に綱をひいて、威勢好くエンヤラサアと遣つてくれ。おい、判つたか、判つたか。(猿の耳を引張れば、猿は引つかく。)え、え、痛《い》てえ、痛てえ。こん畜生、だしぬけに引つ掻きやあがつたな。
おかん おまへさんが惡戲《いたづら》をするから惡いんだよ。
與助 こいつは何うも氣が暴《あら》くつていけません。八さん。まあ堪忍して遣つてください。
助八 痛てえ、痛てえ。(手の甲を撫でながら。)氣が暴《あ》れえにも何にも、まつたく其奴は旅の山猿だ。江戸前の猿ぢやあねえ。
おかん 猿に江戸前も旅もあるものかね。うなぎと間違へてゐるんだよ。(笑ふ。)
雲哲 山の芋が鰻になつても、山猿がうなぎになつたと云ふ話は聞かないな。
願哲 はゝ、こいつは大笑ひだ。
助八 おい、與助。その山猿をおれに貸してくれ。
與助 え、どうするのだね。
助八 おれ一人が引つかゝれた上に、みんなのお笑ひ草になつちやあ割
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