わやわや[#「わやわや」に傍点]騒いでいた。梶井の父も庭下駄をはいて立っていた。
 この社は、前の持主《もちぬし》の時代からここに祭られてあったのだが、もう大変にいたんでいるのと、新しい持主は稲荷さまなどというものに対してちっとも尊敬心を抱いていないのとで、庭の手入れをするついでに取毀すことになった。いや、別に取毀すというほどの手間はかからない。大の男が両手をかけて一つ押せば、たちまち崩れてしまいそうな、古い小さな社であった。それでも職人が三、四人あつまって、いよいよその社を取毀すことになった時、ふと気がついてみると、その社の前の低い鳥居には「十三夜稲荷」としるした額《がく》がかけてある。稲荷さまにもいろいろあるが、十三夜稲荷というのは珍しい。それを聞いて、梶井は父と母と一緒に行ってみると、古びた額の文字は確かに十三夜稲荷と読まれた。
 妙な稲荷だと梶井の父も言った。一体どんなものが祭ってあるかと、念のために社のなかを検《あらた》めさせると、小さい白木の箱が出た。箱には錠がおろしてあって、それがもう錆《さび》ついているのを叩きこわしてみると、箱の底には一封の書き物と女の黒髪とが秘めてあった。その書き物の文字はいちいち正確には記憶していないが、大体こんなことが書いてあったのだ。
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当家の妾たまと申す者、家来と不義のこと露顕いたし候|間《あいだ》、後《のち》の月見の夜、両人ともに成敗《せいばい》を加え候ところ、女の亡魂さまざまの祟りをなすに付、その黒髪をここにまつりおき候事。
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 昔の旗本屋敷などには往々こんな事があったそうだが、その亡魂が祟りをなして、ともかくも一社の神として祭られているのは少ないようだ。そう判ってみると、職人たちも少し気味が悪くなった。しかし梶井の父というのはいわゆる文明開化の人であったから、ただ一笑に付したばかりで、その書き物も黒髪もそこらに燃えている焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけにまず遮《さえぎ》った。それから社を取りくずすと、縁の下には一匹の灰色の蛇がわだかまっていて、人々はあれあれといううちに、たちまち藪のなかへ姿をかくしてしまった。
 蛇はそれぎり行くえ不明になったが、かの書きものと黒髪は残っている。梶井の母はそれを自分の寺へ送って、回向《えこう》をした上で墓地の隅に葬っても
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