の新聞紙上に片門前の女殺しの記事があらわれた。森川権七という古道具屋の亭主がその女房のおいねを殺したというのである。権七は三十一歳で、おいねは年上の三十七であった。新聞の記事によると、おいねは旧幕臣の安達源五郎の妻で、源五郎は越後へ脱走するときに、中間《ちゅうげん》の権七に供をさせて妻のおいねと娘のおむつを上総《かずさ》の親戚の方へ落してやったが、源五郎戦死の噂がきこえて後、おいねと権七の主従関係はいつか夫婦関係に変ってしまった。それには親戚の者どもの反対もあったらしく、おいねは娘のおむつを置き去りにして、若い男と一緒に上総を駈落ちして、それからそれへと流れ渡った末に、去年の春ごろから東京へ出て来て、片門前に小さい古道具屋をはじめたのである。
 権七は小才のきく男で、商売の上にも仕損じがなく、どうにか一軒の店を持ち通すようになると、かれは年上の女房がうるさくなって来た。殊においねは旧主人をかさにきて、とかくに亭主を尻に敷く形があるので、権七はいよいよ気がさして来た。目と鼻のあいだには神明《しんめい》の矢場《やば》がある。権七はそこの若い矢取り女になじみが出来て、毎晩そこへ入りびたっているので、おいねの方でも嫉妬に堪えかねて、夫婦喧嘩の絶え間はなかった。
 その晩もいつもの夫婦喧嘩から、一杯機嫌の権七は、店にならべてある商売物のなかから大工道具の手斧《ちょうな》を持ち出して、女房の脳天を打ち割ったので、おいねは即死した。権七もさすがに驚いてどこへか姿をかくした。
 安達の奥さんの消息はこれで判った。古道具屋の店は森川権七の名になっているので、父がさがし当てなかったのも無理はなかった。二、三日の後に、父が米屋の主人に逢うと、主人もこの新聞記事におどろいていた。
「権七という中間はわたくしも知っています。上州の生れだとか聞きましたが、小作《こづく》りの小粋な男でした。あれが御主人の奥さんと夫婦になって……。おまけに奥さんをぶち殺すなんて……。まったく人間のことは判りませんね。」と、主人は歎息していた。

 九月の末に大あらしがあった。午後から強くなった雨と風とが宵からいよいよ烈しくなって、暁け方まであれた。殊にここらは品川の海に近いので、東南《たつみ》の風はいっそう強く吹きあてて、わたしの家の屋根瓦もずいぶん吹き落された。庭の立木も吹き倒された。塀も傾き、垣もくずれた。
 しかし東の白らむ頃から雨も風もだんだん鎮まって、あくる朝はうららかに晴れた日となったが、どこの家にも相当の被害があったらしい。父は自分の家の構え内を見まわって歩くと、前にいった立木や塀の被害のほかに、西側の高い崖がくずれ落ちているのを発見した。幸いにその下は空地であったが、もしも住宅に接近していたらば、わたしの家は潰《つぶ》されたに相違なかった。
 早速に出入りの職人を呼んで、くずれ落ちた土を片付けさせると、土の下から一人の男の死体があらわれた。男は崖くずれに押し潰されて生き埋めとなったのである。かれは手に鍬《くわ》を持っていた。警察に訴えてその取調べをうけると、生き埋めになった男は、女房殺しの森川権七とわかった。
 権七はかの事件以来、どこかに踪跡《そうせき》を晦《くら》ましていたのであるが、どうしてここへ来てこんな最期を遂げたのか、だれにも想像がつかなかった。
「やっぱりわたしの想像があたっていたらしい。」と、父は母にささやいた。
 空地の草原へ穴を掘りに来た者は、おそらく権七とおいねであったろう。父が想像した通り、かれらは何かの埋蔵物を掘出すために、幾たびか忍んで来たらしい。権七は女房を殺して、どこにか姿を隠していながらも、やはりかの埋めたるものに未練があって、風雨の夜を幸いに又もや忍び込んで来て、今度は崖の下を掘っていたらしいことは、かれの手にしていた鍬によって知られる。しかも風雨はかれに幸いせずして、かえって崖の土をかれの上に押し落したのであった。
 これらの状況から推察すると、かれらは遂に求むるものを掘出し得なかったらしい。それが金銀であるか、その他の貴重品であるか、勿論わからない。父はかれらに代って、それを探してみようとも思わなかった。
 明治十年――今から振り返ると、やがて五十年の昔である。あの辺の地形もまったく変って、今では一面の人家つづきとなった。権七夫婦が求めていた掘出し物も、結局この世にあらわれずに終るらしい。



底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷
初出:「写真報知」
   1925(大正14)年9月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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