二

 父に呼び起されて、母や女中たちも出て来た。
「早く蝋燭《ろうそく》をつけてこい。」
 裸蝋燭に火をつけて女中が持って来たのを、心のせくままに父はすぐに持ち出したが、その火は途中で夜風に奪われてしまった。父は舌打ちしてまた戻って来た。
「はだか蠣燭ではいけない。提灯をつけてくれ。」
 母は奥へかけ込んで提灯を持ち出して来た。それに蝋燭の火を入れて、父は再び現場へ引っ返したが、さてその穴がどの辺であったか容易に判らなくなった。ひと口に空地といっても、ここだけでも四百坪にあまっていて、そこら一面に高い草が繁っている。さっきは暗やみを夢中で探り歩いたのであるから、どこをどう歩いたのか判らない。倒れている草をたよりにして、そこかここかと提灯をふり照らしてみると、そこにもここにも草の踏み倒された跡があるので、いっこうに見当がつかない。と思ううちに、父は又もや足をふみはずして、深い穴のなかに転げ落ちた。
 落ちると共に蝋燭の火は消えてしまったので、父はさっきの困難を繰り返さなければならないことになった。ようやく這いあがったものの、あたりが暗いので何が何やらよく判らない。父は又もや引っ返して蝋燭の火を取りに行った。
「もう今夜は止して、あしたのことにしたらどうです。」と、母は不安らしく言った。
 しかし、かの穴には女が横たわっている。それをそのままにしては置かれないので、父は強情に提灯を照らして行ったが、かの穴はどこらにあるのか遂に見いだすことは出来なかった。暗やみで確かに判らなかったが、父が最初に落ちた穴と、二度目に落ちた穴とは、どうも同一の場所ではないらしかった。第二の穴には人間らしいものはもちろん横たわっていなかったのである。それから考えると、この草原には幾カ所かの穴が掘られているらしいが、それが昔から掘られてあるのか、近頃新しく掘られたのか、又なんのために掘られたのか、父にはちっとも判らなかった。
「あの女はどうしたろう。」
 それが何分にも気にかかるので、父は根《こん》よく探して歩いたが、どうしてもそれらしいものを見いだせないばかりか、よほど注意していたにもかかわらず、父はさらに第三の穴に転げ落ちたのである。提灯は又もや消えた。
「畜生。おれは狐にでも化かされているのじゃないかな。」
 まさかとも思いながらも、再三の失敗に父はすこし疑念をいだくようになった。
「もう思い切って今夜は止めよう。」
 父は第三の穴をはいあがって家へ引っ返した。すすきの葉で足や手さきを少し擦り切っただけで、別に怪我というほどの怪我はしなかったが、三度もおとし穴に落ちたのであるから、髪の毛にまで泥を浴びていた。父は素裸になって、井戸端で頭を洗い、手足を洗った。
「まったく狐の仕業かも知れませんね。」と、母は言った。
 父ももう根《こん》負けがして、そのままおとなしく蚊帳のなかにはいった。しかもかの女のことがどうも気になるので、夜の明けるまでおちおちとは眠られなかった。
 夜は明けても今朝は一面の深い靄《もや》が降《お》りていて、父の探索を妨げるようにも見えた。それが晴れるのを待ちかねて、父は身ごしらえをして再びゆうべの跡をたずねると、草ぶかい空地のまん中から少しく西へ寄ったところに、第一の穴を発見した。それが最初にころげ込んだ穴であることは、片足の草履が落ちているのを見て証拠立てられたが、そこに女のすがたは見えなかった。それからそれへと探しまわると、五百坪ほどの空地のうちに都合九カ所の穴が掘られていることが判った。そのうちの二カ所は遠い以前に掘られたものらしく、穴の底から高い草が生え伸びていたが、他の七カ所は近ごろ掘られたもので、その周囲には新しい土が散乱していた。しかもその穴を掩うために大きな草をたくさんに積み横たえて、さながら一種の落し穴のように作られているのが父の注意をひいた。
「なんのために掘ったのでしょうねえ。」と、父のあとから不安らしくついて来た母が言った。
 何者がこんなことをしたのかはもとより判らないが、一体なんの為にこんなことをしたのかを、父はまず知りたかった。落し穴の目的とすれば、こんな所に穴を掘るのもおかしい。たとい草原同様の空地であるとしても、ここはわたしの家の私有地で、他人がみだりに通行すべき往来ではない。そこへ毎夜忍んで来て落し穴を作るなどとは、常識から考えてちょっと判断に苦しむことである。それにしても、その落し穴に落ちたらしいかの女は何者であろうか。おそらく父が引っ返して提灯を持って来るあいだに、そこを這い出して姿をかくしたのであろうが、その当時二、三カ所でがさがさという響きを聞いたのから考えると、かの女のほかにも何者かが忍んでいたのかも知れない。あるいは近所の男と女がこの空地を利用して密会していたのではあるま
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