った。父の想像によると、庭の空地へ忍んで来て、一度は穴に落ち、一度は犬に追われた女は、この安達の奥さんであるらしく思われた。勿論、取留めた証拠があるわけではないが、庭の空地に穴を掘るのは単にいたずらの為にするのではない。おそらくは土を掘りかえして何物かを探し出そうとするのであろう。安達の家に何かの伝説でもあるか、あるいは脱走の際に何かの貴重品でもうずめて立去ったか、二つに一つで、それを今日《こんにち》になってひそかに掘出しに来るのではあるまいか。今日では土地の所有権が他人に移っているので、表向きに交渉するの面倒を避けて、ひそかに持出して行こうとするのではあるまいか。穴を掘るのは心あたりの場所を掘って見るのであろう。それが成功して幾度も取りに来るのか、あるいは不成功のために幾度もさがしに来るのか、それは判らない。また、かの女のほかに幾人の味方があるか、それも判らない。
もし果たしてそうであるとすれば、まことに気の毒のことである。自分は決して自己の所有権を主張して、遺族らの発掘を拒《こば》んだり、あるいはその掘出し物の分け前を貰おうとしたりするような慾心を持たない。正面からその事情を訴えて交渉してくれば、自分はこころよくその発掘を承諾するつもりである。もしその住所がわかっていれば念のために聞合せるのであるが、片門前とばかりでは少し困る。父は再びかの米屋へ行って、安達の奥さんという人が重ねて来たらば、その住所番地を聞きただして置いてくれと頼んだ。
それでも父はまだ気になってならなかった。米屋の主人の話によると、かの奥さんはあまり都合が好くないらしいという。してみれば、埋めてある財《たから》を一日も早く取出したいと思っているに相違ない。片門前は二町であるが、さのみ広い町ではない。軒別《けんべつ》さがして歩いても知れたものであると、父はその次の日曜日に思い切って探しに出た。広い町でないといっても、一丁目から二丁目にかけて軒別に探しまわるのは容易でない。父はほとんど小半日を費して、ついに安達という家を見いだし得ないで帰った。あるいは他人の家に同居でもしているのではないかとも思われた。
この上は米屋の通知を待つのほかはなかったが、安達の奥さんは再び米屋の店にその姿をみせなかった。わたしの庭の空地へも誰も忍んで来る様子はなかった。
それから又、半月あまりを過ぎて、九月はじめ
前へ
次へ
全13ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング