ョイと通りがかりに見ただけで、直ぐわかったらしいのです。どうも余所《よそ》から来て掘出し物をされちゃ困りますね、といって笑いましたが、――中にはそう掘出し物ばかりもなかったかも知れない。悪くいえばがらくた[#「がらくた」に傍点]に近いものもあったでしょう。こういうものは元来主観的なものだから、本人がこれでいいと思えばそれでいいのかも知れません。私も米斎君から、瓦みたいなものだの、仏様みたいなものだのを頂戴して、難有《ありがと》うございますと御礼はいったけれども、実によくわからないので、戸棚へつッこんでおくうちに、震災でみんな焼いてしまいました。
去年東北の方へおいでなすった御土産に、堤人形の和唐内を貰いました。これが米斎君から頂戴したものの最後です。今では仙台にこの人形を売る店が二軒位しかないそうですが、そこへ行ってみると、水兵だとか、ベースボールのバットを持っているものだとかいうものばかりで、一向面白くない。漸く棚の隅のところに、今売れない和唐内や何かが押込んであるのを発見して、それを買って来たのだ、ということでした。こういう調子で出先へ行っては何か買われるんだから、そればかりでも大変なものでしょう。
今度の病気は去年の十一月、箱根へ大名行列の世話においでなすってからのように思う。押詰って見えた時、海軍病院で診察してもらったが、もう十年ばかりは生きていないと仕事が片附かない、やりたい事が沢山ある、という御話だったので、御大事になさいといって別れたのですが、二月の東劇の舞台装置もなすった位だし、二月の六日の晩、私は行かなかったけれども、新橋演舞場で米斎君に逢ったという人がある。そんな調子なら心配はあるまいと思っていると、急に訃報に接して驚きました。実はその頃は私の方が危かったので、風邪のあとで軽い肺炎になって寝ている間に米斎君は亡くなってしまったのです。私の作で米斎君の御世話になったものは五、六十位ありましょう。考えると何だか夢のようです。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「伝記」
1937(昭和12)年6月号
初出:「伝記」
1937(昭和12)年6月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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