けですが、だんだんそういう書き方の脚本が殖《ふ》えて来ましたから舞台装置家も随分難儀なことがあるだろうと思う。役者は役者で、やりにくいとか何とかいいますし、よほど親切な我慢強い人でないと、喧嘩《けんか》になってしまう虞《おそ》れがある。米斎君はその点は割合に練れていて、芝居の都合を考えては斟酌してくれる方でしたが、ある時にはひどく強情で、固く執《と》って動かないところがありました。時には悪強情だと思われる位で、例えばあの役には烏帽子《えぼし》を被せないで下さいといっても、いや、あれはどうしても被せなければいけないという。そういう場合には仕方がないから、役者に烏帽子を被るなといっておくのですが、舞台へ出るのを見ると、チャンと烏帽子を被っている。あとで部屋へ行って、どうして私のいった通りにしないのだ、と聞くと、実は烏帽子を被らずに出ようとしたら、久保田さんがどうしても被らなけれゃいけないと仰《おっし》ゃるものですから、というのです。だから何時でも素直に聞いてくれるわけじゃない。すべて芸術家気質というものでしょうが、米斎君もたしかにそういう気骨を持っていました。それがため、往々興行主と意見の衝突することがあったようです。もっとも興行主なんていうものは、わけがわからずに勝手な事をいうんですから、仕方がありませんが。
私どもの物などを上演する場合、今度の舞台装置は誰ですと聞いて、久保田さんですといわれれば安心したものです。米斎君は大抵やる前に粗図を画いて、相談してから拵えて下すったので、舞台稽古の時に行って見て、こんな道具が出来たのか、と驚くようなことはありませんでした。粗図で相談してから、本当の図が道具方に廻る。道具方はそれによって見本を拵えて、私の方へ持って来ますから直すべき点があればそこでまた直す。つまり承知の上で出来上るようなものですから、自然当り外れはないわけなのです。ただ再演、三演となりますと、米斎君に御願いして、多少道具の恰好を変えていただくことがある。衣裳なんぞは大概毎回変っています。時によって舞台装置と、衣裳や鬘を別々の方に願うこともありますが、あれはあまりよくないようです。両方が自分勝手にやるから、調和ということが考えられなくなってしまう。白い壁だからこういう服装にする、黒い道具だから明るい著物を著せて出す、というような工夫があるのですから、それが別ッこ
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