の打撃の強かったもの、あるいはその打撃に堪え得られなかった者は、更に不幸の運命に導かれて行ったのではあるまいか。死んだ人々のうちに婦人の多いということも、注意に値すると思われた。
その当時、直《ただ》ちに梁《はり》に撃《う》たれ、直ちに火に焚《や》かれたものは、勿論悲惨の極みである。しかも一旦《いったん》は幸いにその危機を脱出し得ながら、その後更に肉体にも精神にも種々の艱苦《かんく》を嘗《な》めて、結局は死の手を免れ得なかった人々もまた悲惨である。畳の上で死なれたのが幸いであるといえばいうようなものの、前者と後者とのあいだに著るしい相違はないように思われる。特にわたしの近所ばかりでなく、不幸なる後者は到るところの罹災者のあいだにも見出されるのではあるまいか。また、その人々のうちには、あの時いっそ一《ひ》と思いに死んだ方が優《ま》しであったなどと思った人もないとはいえない。世に悼《いた》ましいことである。
番町辺へ行ってみると、荒凉のありさまは更にひどかった。ここらは比較的に大邸宅が多いので、慌ててバラックなどを建てるものはなく、区劃整理の決定するまでは皆そのままに打捨ててあるので、そこもここも一面の芒原である。そのなかに半分|毀《こわ》れかかった家などが化物屋敷のように残っているのも物凄く見られた。日中は格別、日没後に婦人などは安心してここらを通行することは出来そうもない。
区劃整理はいつ決定するのか、東京市内の草原はいつ取除けられるのか。今のありさまではわたしも当分は古巣へ戻ることを許されぬであろう。先月以来照りつづいた空は青々と晴れている。地にも青い草が戦《そよ》いでいる。わたしは荒野を辿《たど》るような寂しい心持で、電車道の方へ引返した。[#地から1字上げ](大正十三年九月)
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「猫やなぎ」岡倉書房
1934(昭和9)年4月初版発行
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング