るばかりですからな。
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(上のかたの障子をあけて、庄吉が聲をかける。)
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庄吉 もし、太夫さん、染太夫さん。
染太夫 あい、あい。
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(薄く雨の音、染太夫は起ち上りて空を見る。)
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染太夫 おゝ、たうたう降り出したか。
半二 降つたら今夜は泊まつておいでなさい。
染太夫 山科の里で春雨《はるさめ》を聽きながら、一夜を明かすのも好いかも知れませんな。まつたくこつちは閑靜だ。
庄吉 太夫さん、太夫さん。
染太夫 はて、せはしない男だ。
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(染太夫は上のかたの小座敷に入る。薄く雨の音。鶯の聲。やがて障子の内にて義太夫の三味線の調子をあはせる音がきこえる。半二は机に倚りかゝつてゐる。奧よりお作出づ。)
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お作 あちらではお淨瑠璃が始まるのでござりますか。
半二 むゝ、今書きかけてゐる伊賀越の節附がもう出來たといふので、染太夫と吉治が六つ目を語つて聞かせるさうだ。
お作 それはよい所へまゐり合せました。
庄吉 (再び障子をあける)先生、これから沼津の段の口を鳥渡《ちよつと》お聽きに入れます。(障子をしめる)
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(これより吉治が三味線をひき、染太夫が語るこゝろにて、伊賀の沼津の淨瑠璃がきこえる。)
※[#歌記号、1−3−28]あづま路に、かうも名高き沼津の里、富士見白酒名物を、一つ召せ/\駕籠《かご》に召せ、お駕籠やろかい參らうか、お駕籠お駕籠と稻むらの蔭に巣を張り待ちかける、蜘蛛の習《ならひ》と知られたり。浮世渡りはさま/″\に、草の種《たね》かや人目には、荷物もしやんと供廻《ともまは》り、泊りをいそぐ二人連れ――
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半二 あ、絲が切れたな。
お作 ほんに絲が切れたやうでござります。
庄吉 (又もや障子をあける)どうも相濟みません。絲が切れましたので、しばらくお待ち下さりませ。(障子をしめる)
半二 (お作に)絲が切れたので思ひ出したが、おまへに云つて置くことがある。わたしは我慢して八つ目までは書いたものゝ、無事に
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