ます。歌舞伎が榮えて、あやつりが衰へたと申しても、廣い世間には淨瑠璃好きはまだ/\澤山ござります。
半二 淨瑠璃を聽く者はあるだらうが、操りを觀る者はだん/\に減つて來る。論より證據、竹本も豐竹も櫓《やぐら》の名前ばかりで半分は潰《つぶ》れたも同樣ではないか。わたしも自《おの》づと肩身が狹くなつて、世間の人に顏を見られるのが恥かしいやうな氣もするので住み馴れた大阪を立退いて、この山科に隱れてゐるのだ。おなじ山科に隱れても、大石内藏之助《おほいしくらのすけ》は見事にかたき討の本意《ほい》を遂げたが、近松半二は駄目だ、駄目だ、いくら燥つても藻掻いても歌舞伎に對してかたき討は出來ない。(又咳き入る)
[#ここから5字下げ]
(奧よりおきよは藥を持つて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おきよ 大分お咳が出るやうでござりますな。
お作 丁度よいところへ……。(藥を受取る)さあ、お藥が出來ました。
[#ここから5字下げ]
(お作は半二に藥を飮ませる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おきよ (お作に)お醫者樣は少し仕事を止めてゐろと仰しやるのでござります。
お作 わたしもさう思つてゐますが……。(半二に)さつきから餘ほどお疲れのやうでござります。ちつお休みなされませ。
[#ここから5字下げ]
(お作とおきよは半二を寢かさうとすれば、半二は力なげに振拂ふ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
半二 いや、なか/\寢てゐられない。醫者がなんと云はうとも筆を持ちながら倒れゝばわたしは本望だ。さあ、邪魔をしないで退いてくれ、退いてくれ。どうで長く生きられないのは自分にも判つてゐる。息の通つてゐるうちに、遣りかけてゐる仕事を片附けてしまはなければならないのだ。
[#ここから5字下げ]
(女ふたりは爭ひかねて、顏を見合せながら手を弛むれば、半二は机に倚《よ》りかゝかりて苦しさうに息をつく。お作はその脊を撫でる。下のかたより竹本染太夫、五十歳前後、鶴澤吉治、四十歳前後、竹本座の手代庄吉、三十餘歳。いづれも大阪より尋ね來たりし體にて、供の若者は、三味線と菓子折を持ちて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
若者 御免くだされ。
前へ 次へ
全14ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング