」、180−16]《ようげつ》ありと申すはまさしくこの事じゃ。天下を治むる宰相にその器量なくして、国家まさに亡びんとすればこそ、もろもろの妖異も出て来るのじゃ。しょせんは妖魔が現われて国を傾くるのでない、国がすでに傾かんとすればこそ妖魔が現わるるのじゃと、この頼長は批判する。入道の意見はどうであろうな」
信西は黙って頼長の顔をながめていた。この返答は容易にできないと彼は思った。なるほど頼長の意見にも一応の道理はある。むしろそれが正しい批判であるかもしれない。しかもその返事次第で、彼はどうでも頼長の味方に引き入れられなければならないことを考えると、迂闊にここで自分の意見を発表するのを躊躇したのであった。
頼長は玉藻をほろぼすと同時に、兄の忠通をも亡ぼそうとするのである。それは今の口吻《くちぶり》に因《よ》っても確かに判る。頼長の議論からいえば、妖魔その物はそもそもの末で、その妖魔を呼び起こした根本の罪人はほかにある。その罪人は兄の関白である。たといいったんは玉藻をほろぼしても、兄がそのままに世に立っていては、やがて第二の玉藻が出現するに相違ないというのである。どう考えても、信西はその返答に困った。
彼はもとより頼長に親しんでいた。その才学にも舌を巻いていた。しかし彼はそれがために、頼長の兄に対して敵意をもつわけにはいかなかった。彼は頼長に対すると同じように、その兄に対しても同様の親しみをもっていた。大きくいえばそれが天下《てんが》のためである。二つにはそれが自分のためであるとも思っていた。現在のところ、彼がもっぱら頼長の方に傾いているらしく見えるのは、悪魔を退治するがためである。玉藻をほろぼすがためである。頼長と忠通との不和を醸《かも》しなすがためではない。この点に於いて、彼は頼長とその立ち場を異《こと》にしているのであるから、今の議論をうかつに賛成することは出来ない。いったん賛成した以上、頼長と合体して忠通に敵対しなければならない破目になるのは見え透いているので、彼はそれを恐れた。古入道の彼としては、むしろそれを愚かしいとも思った。
色紙短尺に歌を書くよりほかには能のない、又は※[#「※」は「糸へんに委」、182−4]《おいかけ》をつけて胡※[#「※」は上「竹かんむり」下左「金」下右「祿―示」、182−4]《やなぐい》を負うのほかには芸のない、青公家《あおくげ》ばらや生官人《なまかんにん》どもとは違って、少納言入道信西は博学宏才を以って世に認められている。殊更に党を組み、ひとにおもねって、自分の地位にかじり付いている必要はない。忠通が勝っても、頼長が勝っても、あるいはこの兄弟が相討ちになっても、自分の地位は容易に動かないものと彼はみずから信じていた。
こうした強い自信をもっている彼の眼から観れば、どちらの味方をして働くのも無用の努力であるように思われた。彼はなるべく事なかれ主義を取って頼長と忠通とのあいだを弥縫《びほう》するか、もしそれが出来そうもないと見きわめた暁《あかつき》にはそっと手を引いて、両方の争いを遠く見物しているのが、最も賢い、最も安全の処世法であるように思われた。しかしこの場合、結局黙っては済まされないとみて、老獪《ろうかい》の彼は巧みに逃げを打った。
「さりながらその禍いがすでにあらわれましたる以上は、まずそれを鎮むる工夫が先きでござりまする。その禍いを見て諸人が悔いあらたむれば天下はおのずから泰平、二度の禍いのあらわりょう筈はござりませぬ」
「それもそうじゃな」と、頼長は渋《しぶ》しぶうなずいた。彼も差しあたってはそれを言い破るほどの理屈をもっていないらしかった。
二人はしばらく詞《ことば》が途切れた。秋草を画いた几帳《きちょう》が昼の風に軽くゆれて、縁さきに置いてある美しい蒔絵《まきえ》の虫籠できりぎりすがひと声鳴いた。
「殿。ただいま戻りました」
年頃は三十二、三の、これも主人とおなじような鋭い眼をもった小ざかしげな侍が、縁さきに行儀よくうずくまった。
「ほう、兵衛か。近う寄れ」
頼長にあごで招かれて、藤内兵衛遠光《とうないひょうえとおみつ》は烏帽子のひたいをあげた。彼は信西入道を仰ぎ見て、更にうやうやしく式代《しきだい》した。
「どうじゃ。洛中洛外に眼に立つほどの事どももないか」と、頼長はしずかに訊いた。
遠光は頼長が腹心の侍で、宇治と京とのあいだを絶えず往来して、およそ眼に入るもの、聞こゆるもの、大小となく主人に一いち報告する一種の物聞《ものぎ》きの役目を勤めていた。頼長は彼の報告によって、居ながらに世のありさまを詳しく知っているのであった。
「玉藻の御《ご》があすは三井寺《みいでら》参詣とうけたまわりました」
「玉藻が三井寺に参詣するか」
頼長と信西とは眼をみあわせた。
「山門《さんもん》と三井寺とは年来の確執じゃ。その三井寺に参詣して法師ばらを唆《そその》かし、世の乱れを起こそうとてか」と、頼長は何事も見透かしたようにあざ笑った。「さりながらこれは大事じゃ。山門の荒法師も手をつかねて観てもいるまい。又しても山門と三井寺の闘諍《とうじょう》、思えば思えば浅ましさの極みじゃ」
叡山《えいざん》と三井寺の不和は多年の宿題で、戒壇建立の争いのためには三井寺の頼豪阿闍梨《らいごうあじゃり》が憤死して、その悪霊が鼠になったとさえ伝えられている。その三井寺へ魔女の玉藻が参詣して、いかなる禍いの種を播《ま》こうとするのか。
しょせんは三井寺の僧徒を煽動して叡山に敵対させ、かれらを執念く啖《く》い合わせて、仏法の乱れ、あわせて王法の乱れを惹き起こす巧みであろう。こう思うと、信西の嶮しい眉も食い入るばかりに顰《ひそ》んできた。
「彼女《かれ》の悪業、いやが上に募ってまいっては、いよいよ油断がなり申さぬ」
「そうじゃ。まだこの上に何事をたくもうも知れぬ」と、頼長も奴袴《ぬばかま》の膝を強く掴んだ。「のう、入道。この上は重ねて七十日の祈祷《いのり》などおめおめと待ってはいられまい。泰親にもその旨を申し含めて、早急にかれめを祈り伏する手だてが肝要であろうぞ」
この点に就いては、信西も勿論、同意であった。
「仰せごもっとも、それがしも肝胆を砕いて、一日も早く妖魔をほろぼす手だてを案じ申そうよ」
二
八月十一日は晴れていた。それでも先日の大雨以来、明るい日の色も俄に秋らしくなって、藍《あい》を浮かべたような湖《みずうみ》の上を吹き渡って来る昼の風も、たもと涼しくなった。
青糸毛《あおいとげ》の牛車《くるま》が三井寺の門前にしずかに停まると、それより先きに紫糸毛の牛車が繋がれていた。あとから来た青糸毛のうしろに、黒塗りの鷺足の榻《しい》が据えられて、うしろ簾《すだれ》がさやさやと巻きあげられると、内から玉藻の白い顔があらわれた。折りからそよそよと吹いて来る秋風に袴の緋を軽くなびかせて、彼女は牛車からしなやかに降り立つと、門前にたたずんでいた一人の侍がつかつかと歩み寄って来た。侍は藤内兵衛遠光であった。
「お身は三井寺御参詣か」と、遠光は会釈しながら訊いた。
玉藻の供の侍には遠光を見識っている者どももあった。関白家御代参として玉藻が参詣を彼らが答えると、遠光は苦《にが》い顔をして言った。
「唯今は宇治の左大臣殿御参詣でござる。誰人《たれびと》にもあれ、山門の内へ罷《まか》り通ること暫く御遠慮めされ」
ゆく手をさえぎられて、玉藻の供もむっとした。この青糸毛が眼に入らぬかというように、かれらは牛車を見かえって答えた。
「唯今も申す通り、これは関白殿御代参でござるぞ。邪魔せられまい」
そっちの糸毛ばかりをひけらかして、こっちの紫糸毛が見えぬかというように、遠光も自分の牛車をあごで示しながら言った。
「関白殿の御牛車《みくるま》と申されても、それは代参、殊に女性《にょしょう》じゃ。しばらくの御遠慮苦しゅうござるまい」
口でおだやかに言いながらも、すわといわば相手の轅《ながえ》を引っ掴んで押し戻しそうな勢いで、遠光は牛車の前に立ちはだかっていた。
紫糸毛の牛車のそばには、遠光のほかに逞しい侍が七、八人も控えていて、肉に食い入るほどに烏帽子の緒をかたく引き締めたあごをそらせて、こっちをきっと睨みつめていた。中にはその手をもう太刀の柄《つか》がしらにかけている者もあった。そのていが最初から喧嘩腰である。人数は対等でも、玉藻の供は相手ほどに精《え》り抜いた侍どもではなかった。不意にこの喧嘩を売り掛けられて、彼らはすこしく怯《ひる》んだ。
それにつけても、当人の玉藻がなんと言い出すかと、敵も味方も眼をあつめてその顔色をうかがっていると、玉藻はやがてしずかに言った。
「ほほ、これは異《い》なことを承りまする。御代参とあれば関白家も同じこと、弟御《おとうとご》の左大臣どのから遠慮のお指図を受きょう筈はござりませぬ」
彼女は供の侍を見かえって、一緒に来いと扇でまねいた。招かれて彼らはそのあとに続こうとするのを、遠光はあくまでもさえぎった。
「なり申さぬ。われわれここを固めている間は、ひと足も門内へは……」
「ならぬと言わるるか」
「くどいこと。なり申さぬ」
「どうでもならぬか」と、玉藻もすこし気色《けしき》ばんだ。
遠光はもう返事もしないで、相手の瞳《ひとみ》を一心に睨んでいると、玉藻はなんと感じたか俄に扇でそのおもてを隠しながら高く笑った。彼女は眉をあげて山門の方をあざけるように見返りながら、再びしずしずと牛車の※[#「※」は「車へんに非」、187−7]《はこ》にはいって、そうして、牛車を戻せと低い声で命令すると、牛はやがてのそのそと動き出して、轅《ながえ》は京の方角へむかって行った。
と思うと、白羽の矢が一つ飛んで来て、青糸毛の車蓋《やかた》をかすめてすぎた。その響きにおどろかされて供の侍どもはあっと見かえると、二の矢がつづいて飛んで来て、その黒い羽は後廂《うしろびさし》の青いふさを打ち落として通った。
「や、遠矢《とおや》じゃ。さりとは狼藉……」
立ちさわぐ侍どもを玉藻は簾のなかから制して、牛車の大きい輪は京をさして徐《しず》かに軋《きし》って行った。その青い影のだんだんに遠くなるのを見送りながら、山門のかげから頼長が出て来た。あとに続いて弓矢を持った二人の侍があらわれて、いずれも残念そうに唇を噛んでいた。玉藻がきょうの参詣を知って、頼長は先き廻りをして先刻からここに待ち受けていたのである。遠光は主人の内意をうけて、わざと玉藻のゆく手をさえぎって無理無体に喧嘩を仕かけ、関白家の供のものを追っ払った上で、玉藻をここで討ち果たしてしまおうという心組《こころぐ》みであった。頼長のそばには藤内太郎、藤内次郎という屈竟《くっきょう》の射手《いて》が付き添うていて、手にあまると見たらばすぐに射倒そうと、弓に矢をつがえて待ち構えていた。頼長は勿論、射手の二人も山門のかげに身を忍ばせていたのであるが、早くも玉藻に覚られたらしい。彼女はこちらの裏をかくようにあざけりの笑みをくれて、徐《しず》かにここを立ち去った。この機会を取り逃してはならぬと、頼長の指図で二人はすぐ牛車のうしろから射かけたが、二人ながら不思議に仕損じた。あわてて二の矢をつがえようとすると、弓弦《ゆづる》は切れた。牛車はそれを笑うように、輪の音を高く軋らせながら行き過ぎてしまった。
眼《ま》のあたりにこのおそろしい神通力を見せられて、射手の二人も遠光も息をのんで立ちすくんでいた。頼長は一人で苛《いら》いらしていたが、驚きと恐れとに脅《おびや》かされている家来どもをいかに叱り励ましても、しょせんはその効はあるまいと思われた。
「悪魔めをこの山門内に踏み入れさせなんだが、せめてもの事じゃ」
こうあきらめて頼長も宇治へ帰った。さきの雨乞いといい、きょうの待ち伏せといい、一度ならず二度までも仕損じた彼は、さすがに胸が落ち着かなかった。彼も悪魔の復讐を気づかって、その夜から宿直《とのい》の侍の数を増してひそかに用心していたが、
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