《りゅうしゅうあじゃり》でおわすそうな。世にも誉れの高い碩学《せきがく》の聖《ひじり》、わたくしも一度お目見得して、眼《ま》のあたりに教化《きょうげ》を受けたい。お身さま御案内してくださらぬか」と、玉藻は思い入ったように言った。それは、彼女の口から恋歌の返しを兼輔の耳にそっとささやいた後であった。
「ほう、法性寺の叔父にお身はまだ一度も逢われぬか」と、兼輔はすこし不思議そうな顔をした。
 法性寺は誰も知る通り、関白家|建立《こんりゅう》の寺である。忠通卿の尊崇なおざりでないことは兼輔もかねて知っていた。その寺の尊い阿闍梨に、玉藻が一度も顔をあわせていないというのは、なんだか理屈に合わないようにも思われた。
「阿闍梨は女子《おなご》がきついお嫌いそうな」と、玉藻はそれを説明するように寂しくほほえんだ。
 甥の兼輔とは違って、叔父の隆秀阿闍梨は戒律堅固の高僧であった。彼は得度《とくど》しがたき悪魔として女人《にょにん》を憎んでいるらしく、いかなる貴人《あてびと》の奥方や姫君に対しても、彼は膝をまじえて語るのを好まなかった。忠通もそれをよく知っているので、法性寺詣でのときに限って、決して女子を伴って行ったことはなかった。寵愛の玉藻の望みでも、法性寺の供だけは一度も許されなかった。兼輔もそこに気がついて苦笑いした。
「はは、叔父のかたくなは今に始まったことでござらぬ。われらも顔さえ見せれば何かと叱られて、むずかしい説法を小半※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、78−6]《こはんとき》も聞かさるる。うかと美しい女子など引き合わせたら、また何を言わりょうやら。しかしほかならぬお身の頼みじゃ。ちっとぐらい叱られても苦しゅうござらぬ。なんどきなりとも案内して、叔父の阿闍梨に逢わせ申そうよ」と、彼は事もなげに受け合った。
「八歳の龍女が当下《とうげ》に成仏したことは提婆品《だいばぼん》にも説かれてあります。いかに罪業《ざいごう》のふかい女子の身とて、尊い阿闍梨の教化を受けましたら、現世《げんせ》はともあれ、せめて来世《らいせ》は心安かろうにと、唯そればかりを念じておりまする」と、玉藻の声はすこしく陰った。
 いたましく打ちしおれたような玉藻のすがたが、兼輔の眼には更に一段のあでやかさを加えたようにも見られた。彼が好んで口ずさむ白楽天の長恨歌の「梨花一枝春帯雨《りかいっしはる
前へ 次へ
全143ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング