薄いというので、なにがしの女房たちや、なにがしの姫たちもみな華やかなよそおいを凝らして、その莚に列《つら》なっていた。その美しい衣の色や、袖の香や、楽の音《ね》や、それもこれも一つになって、あぶるように暖かい春のひかりの下に溶けて流れて、花も蝶も鶯も色をうしない声をひそめるばかりであった。
これもその美しい絵巻物のなかから抜け出して来た一人であろう。縹色《はないろ》の新しい直衣《のうし》を着た若い公家《くげ》が春風に酔いを醒ませているらしく、水にただよう花の影をみおろしながら汀《みぎわ》の白い石の上に立っていると、うしろからそっと声をかけた者があった。男は振り向いて立烏帽子のひたいを押し直した。
「玉藻《たまも》の前《まえ》。きょうはいろいろの御款待《おんもてなし》、なにかと御苦労でござった」
若い公家は左少弁兼輔《さしょうべんかねすけ》であった。色の白い、髯《ひげ》の薄い優雅の男振りで、詩文もつたなくない、歌も巧みであった。そのほかに絵もすこしばかり描いた。笛もよく吹いた。当代の殿上人のうちでも風流男《みやびおとこ》の誉れをうたわれて、なんの局《つぼね》、なんの女房としばしばあだし名を立てられるのを、ひとにも羨《うらや》まれ、彼自身も誇らしく考えていた。
その風流男の前に立って恥じらう風情もなしに心易げに物をいう女子《おなご》は、人間の色も恋もとうに忘れ果てた古《ふる》女房か、但しは色も風情も彼に劣らぬという自信をもった風流乙女《みやびおとめ》か、二つのうちの一つでなければならなかった。彼と向き合っている女子は確かに後の方の資格を完全にそなえていた。
「なんの御会釈《ごえしゃく》に及びましょう。おんもてなしはわたくしどもの役目、何事も不行届きで申し訳がござりませぬ。この頃の春の日の暮るるにはまだ間《ひま》もござりましょう。あちらの亭《ちん》へお越しなされて、今すこし杯をお過ごしなされてはいかが。わたくし御案内を仕まつります」
「いや、折角ながら杯はもう御免くだされ。先刻からいこう酔いくずれて、みだりがましい姿を人びとに見せまいと、この木蔭《こかげ》まで逃げてまいったほどじゃ」と、兼輔は扇を額《ひたい》にかざしながらほほえんだ。
「と申さるるは嘘で、誰やらとここで出逢う約束と見えました。そういうことなら、わたくし何時《いつ》までもここにいて、お前がたの邪魔しま
前へ
次へ
全143ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング