いったことのないという森の奥に隠れ、髑髏を枕にして古塚の下に眠っているのであった。この奇怪なありさまに二人はまたぞっとしたが、千枝松はもう怖ろしいよりも嬉しい方が胸いっぱいで、前後も忘れて女の枕もとへ這い寄った。彼は藻の手をつかんで叫んだ。
「藻よ、千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ。藻よ」
 翁も声をそろえて呼んだ。呼ばれて藻はふらふらと立ち上がったが、彼女はまだ夢みる人のようにうっとりとして、千枝松の腕に他愛なく倚《よ》りかかっているのを、二人は介抱しながら森の外へ連れ出した。明るい月の下に立って、藻はよみがえったようにほっと長い息をついた。
「どうじゃ。心持に変わることはないか」
「どうしてこんなところに迷いこんだのじゃ」
 千枝松と翁は代るがわるにきいたが、藻は夢のようでなんにも知らないといった。今夜はいつもよりも千枝ま[#「ま」に傍点]の誘いに来るのが遅いので、彼女は一人で家を出て清水の方へ足を運んだ。それまでは確かに覚えているが、それから先きは夢うつつで何処《どこ》をどう歩いたのか、どうしてこの森の奥へ迷い込んだのか、どうしてここに寝ていたのか、自分にもちっとも判らないとのことであった。
「やっぱり野良狐めのいたずらじゃ」と、翁はうなずいた。「しかしまあ無事でめでたい。父御もさぞ案じていらりょう。さあ、早う戻らっしゃれ」
 夜はもう更《ふ》けていた。三人は自分の影を踏みながら黙ってあるいた。陶器師の翁は自分の家の前で二人に別れた。千枝松は隣りの門口まで藻を送って行って又ささやいた。
「これに懲りてこの後は一人で夜歩きをせまいぞ。あすの晩もわしが誘いにゆくまで、きっと待っていやれ。よいか」
 念を押して別れようとして、千枝松は女が左の手に抱えている或る物をふと見付けた。それは彼女が枕にしていた古い髑髏で、月の前に蒼白く光っていた。千枝松はぎょっとして叱るように言った。
「なんじゃ、そんなものを……。気味が悪いとは思わぬか。抛《ほう》ってしまえ。捨ててしまえ」
 藻は返事もしないで、その髑髏を大事そうに抱えたままで、つい[#「つい」に傍点]と内へはいってしまった。千枝松は呆れてそのうしろ影を見送っていた。そうして、狐がまだ彼女を離れないのではないかとも疑った。
 その晩に、千枝松は不思議な夢をみた。
 第一の夢の世界は鉄もとろけるような熱い国であった。そこには人の
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