して、頼長でも信西でももう故障をいう余地はない。玉藻も立ちどころに殿上に召されて、やがては予定の通りに頼長や信西の一派を蹴落とすことも出来る。こう思うと、忠通の弱った魂はよみがえったように活気づいて、彼は俄に起き直った。
「おお、殊勝な願いじゃ。忠通が許す。早くその祈祷《いのり》をはじめい」
「では、一七日《いちしちにち》のあいだ身を浄めまして、加茂の河原に壇を築かせ、雨乞いの祈祷を試みまする」
 玉藻が雨乞いの祈祷は関白家から触れ出された。その式はなるべく壮厳《そうごん》を旨として、堂上堂下の者どもすべて参列せよとのことであった。雑人《ぞうにん》どもの争擾《そうじょう》を防ぐために、衛府の侍は申すにおよばず、源平の武士もことごとく河原をいましめと言い渡された。その日は八月八日と定められた。
「ほう、さりとは不思議。あたかも七十日の満願の当日じゃ」と、泰親はうなずいた。
 彼はすぐに信西入道のもとへ使いを走らせて、自分たちも当日は河原へ出て祈りたいと言った。眼《ま》のあたりに魔性の者を祈り伏せるには、願うてもなき好機会であると彼は思った。
 信西も同意であった。彼は頼長と打ちあわせて、こちらも表向きは雨乞いの祈祷と言い立て、おなじ河原で祈りくらべをさせることに決めた。一日を二つに分けて、あかつきの卯《う》の刻(午前六時)から午《うま》の刻(十二時)までの半日を泰親の祈祷と定め、午の刻から酉《とり》の刻(午後六時)までの半日を玉藻の祈祷と定め、いずれに奇特があるかを試《ため》さするというのであった。
「又しても彼らが楯を突くか」と、忠通は焦《じ》れて怒った。
 しかし玉藻は別に騒ぎもしなかった。祈り比べをするというのは却《かえ》って幸いである。どちらに奇特があるかを万人の見る前でためしたいと言った。
「して、万一わたくしの勝ちとなりましたら、相手の播磨守どのはどうなりましょう」
「むろん流罪《るざい》じゃ。陰陽《おんよう》の家《いえ》へ生まれてこの祈りを仕損じたら、安倍の家のほろぶるは当然じゃ」と、忠通は罵るように言った。
「お気の毒じゃが、是非がござりませぬ」
 彼女は自分の勝を信ずるように言った。
 忠通も彼女に勝たせたかった。相手の泰親はともかくも、この勝ち負けは結局自分と頼長一派との運定めであるように思われた。彼は苛《いら》いらした心持でその日を待っていた。

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