なご》から鏡を借りて来て、自分の顔をつくづくと映してみた。彼は幾たびか眼を据えて透かして視たが、自分の若々しい顔の上から死相を見いだすことは出来なかった。かれは溜息と共に鏡を投げ出した。
「陰陽師、身の上知らずとはこれじゃ」
それにつけても師の泰親は万人にすぐれて偉い、尊い人であると、彼は今更のように感心した。信西入道も偉いと思った。彼は自分の学問未熟を恥ずると共に、師匠や信西を尊敬するの念がいよいよ深くなった。こうした尊い師匠に救われて、親しくその教えをうけているおのれは、いかに幸いであるかということも、しみじみと考えさせられた。
「なんでもお師匠さまのお指図通りにすればよいのじゃ」と、今の彼はこう素直に考えるよりほかはなかった。
実をいえば、さっき河原で玉藻に別れるときに、女はそこへ来あわせた若い公家《くげ》の手前を憚って、口ではなんにも言わなかったが、その美しい眼が明らかに語っていた。それは近いうちに又逢おうという心であることを千枝太郎は早くも覚った。彼もおなじ心を眼で答えて別れた。しかし今となっては、もうそんなことを考えるさえも怖ろしかった。自分はその一刹那から再び怪異《あやかし》に憑かれたのであった。彼はこれから一七日《いちしちにち》の間、斎戒《さいかい》して妖邪の気を払わなければならないと思った。
自分にはお師匠さまという者が付いている――こう思うと、彼は又俄に心強くもなった。未熟な自分の力ではとてもその妖魔に打ち勝つことは覚束ないが、お師匠さまの力を仮りればかならず打ち勝つことが出来る。お師匠さまもまたそれに苦心していられるのであるから、及ばずながらも自分はお師匠さまに力を添えて、ともどもに悪魔調伏に一心を凝らさなければならない。悪魔がほろぶれば自分ひとりの命が救われるなどという小さい事ではない、この日本の国を魔界の暗闇から救うことも出来るのである。彼は一生の勇気を一度に振るい起こして、悪魔と向かい合って闘わなければならないと、強い、強い、健気《けなげ》な雄々しい決心をかためた。彼はその夜の更けるまで机に正しく坐って、一心不乱に安倍晴明以来の伝書の巻を読んだ。
それから十日《とおか》ほど経って、泰親は外から帰ってくると、そっと千枝太郎を奥へ呼んだ。
「法性寺の阿闍梨も気が狂うたそうな」
阿闍梨もという言葉に深い意味が含まれているらしく聞こえた
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