、ここの家へもわたくしの家へも出入りをするようになりました。そういう縁がありますので、わたくし共の家で壁をぬり換える時に、叔父にその仕事をたのみますと、叔父は職人を毎日よこしてくれまして、自分もときどきに見廻りに来ました。そこで、ある日の午飯にうなぎの蒲焼を取寄せて出しますと、叔父は俄に顔の色を変えて、いや、鰻は真っぴらだ。早くあっちへ持って行ってくれというのです。これが普通の職人ならば、うなぎの蒲焼などを食わせる訳もないのですが、職人といっても叔父のことですから、わたくし夫婦も気をつけてわざわざ取寄せて出したのに、見るのも忌だと言われると、こっちもなんだか詰まらないような気にもなります。殊に家内は女のことですから、すこしく顔の色を悪くしたので、叔父も気の毒になったらしく、これには訳のあることだから堪忍してくれ。ともかくも江戸の職人をしていて、鰻が嫌いだなどというのはおかしいようだが、おれは鰻を見ただけでも忌な心持になる。と言ったばかりでは判るまい。まあこういうわけだと、叔父が自分のわかい時の昔話をはじめたのです。」
有年の叔父は吉助というのであるが、屋敷を飛び出してから吉次郎と呼んでいた。かれは左官屋になるまでに所々をながれあるいて、いろいろのことをしていたらしい。それについては吉次郎も一々くわしく語らなかったが、この話はかれが廿四五の頃で、浅草のある鰻屋にいた時の出来事である。最初は鰻裂きの職人として雇われたのであるが、ともかくも武家の出で、読み書きなども一通りは出来るのを主人に見込まれて、そこの家《うち》の養子になった。そうして、養父と一緒に鰻の買出しに千住へも行き、日本橋の小田原町へも行った。
ある夏の朝である。吉次郎はいつもの通りに、養父と一緒に日本橋へ買出しに行って、幾笊かのうなぎを買って、河岸《かし》の軽子《かるこ》に荷わして帰った。暑い日のことであるから、汗をふいて先ず一休みして、養父の亭主がそのうなぎを生簀《いけす》へ移し入れようとすると、そのなかに吃驚《びっくり》するほどの大うなぎが二匹まじっているのを発見した。亭主は吉次郎をよんで訊いた。
「河岸できょう仕入れたときに、こんな荒い奴はなかったように思うが、どうだろう。」
「そうですね。こんな馬鹿にあらい奴はいませんでした。」と、吉次郎も不思議そうに言った。
「どうして蜿《のたく》り込んだか
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