がてそのひとりが最初帰らうと云ひ出した男に向つて、折角こゝまで足を運びながらなぜ俄かに止めると云ひ出したのかと訊くと、その男は身をふるはせて、いや実に怖ろしいことであつた。あの家の店へ這入ると、帳場のわきに大きなすつぽんが火燵《こたつ》に倚りかゝつてゐたので、これは不思議だと思つてよく見ると、すつぽんでなくて亭主であつた。おれは俄かにぞつとして、もうすつぽんを食ふ気にはなれないので、早々に引返して来たのだといふ。それを聞くと、ほかの二人は溜息をついて、実はおれ達もおなじものを見たので、お前が止さうと云つたのを幸ひに、すぐに一緒に出て来たのだといふ。その以来、この三人は決してすつぽんを食はなかつたといふことです。それは作り話でなく、蒿蹊がまさしくその中のひとりの男から聴いたのだと云ひます。」
有年はやはり黙つて聴いてゐた。※[#「さんずい+(廣−广)」、第3水準1−87−13]南は聴いてしまつて溜息をついた。
「なるほど、さういふ不思議が無いとは云へませんね。おい、一郎。おまへの叔父さんのやうなこともあるからね。お前、あの話を曲亭先生のお耳に入れたことがあるか。」
「いゝえ、まだ……。
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