るのと、今夜は馬琴が来るといふのとで、有年も遠慮なしにたづねて来て、その団欒に這入つたのである。
 馬琴は元来無口といふ人ではない。自分の嫌ひな人間に対して頗る無愛想であるが、こゝろを許した友に対しては話はなか/\跳《はず》む方であるから、三人は火鉢を前にして、冬の夜の寒さを忘れるまでに語りつゞけた。そのうちに何かの話から主人の※[#「さんずい+(廣−广)」、第3水準1−87−13]南はこんなことを云ひ出した。
「御存知かしらぬが、先頃ある人からこんなことを聴きました。日本橋の茅場町に錦とかいふ鰻屋があるさうで、そこの家では鰻や泥鰌《どぜう》のほかに泥亀《すつぽん》の料理も食はせるので、なか/\繁昌するといふことです。その店は入口が帳場になつてゐて、そこを通りぬけると中庭がある。その中庭を廊下づたひに奥座敷へ通ることになつてゐるのですが、こゝに不思議な話といふのは、その中庭には大きい池があつて、そこに沢山のすつぽんが放してある。天気のいゝ日にはそのすつぽんが岸へあがつたり、池のなかの石に登つたりして遊んでゐる。ところで、客がその奥座敷へ通つて、うなぎの蒲焼や泥鰌鍋をあつらへた時には、かのすつぽん共は平気で遊んでゐるが、もし泥亀をあつらへると、彼等はたちまちに水のなかへ飛び込んでしまふ。それはまつたく不思議で、すつぽんといふ声がきこえると、沢山のすつぽんがあわてて一度に姿をかくしてしまふさうです。かれらに耳があるのか、すつぽんと聞けば我身の大事と覚るのか、なにしろ不思議なことで、それをかんがへると、泥亀を食ふのも何だか忌《いや》になりますね。」
 有年はだまつて聴いてゐた。馬琴はしづかに答へた。
「それは初耳ですが、そんなことが無いとも云へません。これはわたしの友達の小沢蘆庵から聴いた話ですが、蘆庵の友だちに伴蒿蹊といふのがあります。御存じかも知れないが、蘆庵、蒿蹊、澄月、慈延といへば平安の四天王と呼ばれる和歌や国学の大家ですが、その蒿蹊がかういふ話をしたさうです。家の名は忘れましたが、京に名高いすつぽん屋があつて、そこへ或人が三人づれで料理を食ひに行くと、その門口に這入つたかと思ふと、ひとりの男が急に立ちどまつて、おれは食ふのを止さうといふ。ほかの二人もたちまち同意して引返してしまつた。見ると、おたがひに顔の色が変つている。先づ一二町のあひだは黙つて歩いてゐたが、や
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