。
嫗 あしたも明後日《あさって》も、三日も五日も十《とお》日も、一と月も二た月も、毎晩強情に防いでいたら、いくら執念深い蛇でもあきらめて、しまいには来なくなるかも知れない。
翁 おまえがあきらめられぬと同じことで、むこうも容易にはあきらめまい。根《こん》くらべならやっぱり強い者の方が勝つわ。
(三人は顔を見あわせて嘆息す。里の青年《わかもの》一人、太刀をはき、弓矢をたずさえていず。)
青年 もし、もし。
翁 や、もう来たのか。
(嫗はあわてて娘を我がうしろに隠す。翁はうろうろする中に、青年《わかもの》は進み入りて顔を見合わせる。)
翁 おお、お前さんか。まあ、よかった。
青年 どうも飛んだことが出来《しゅったい》したそうですね。
嫗 では、もう知っていなさるのか。
青年 さっき娘御から聞きました。しかし御安心なさるがよろしい。その蛇が来たら私が退治してみせます。
翁 お前さんが退治してくれるか。
嫗 ほんとうに蛇を退治してくださるか。
青年 わたしが素盞嗚尊になりましょう。私にはこの弓と矢があります。
翁 おまえさんは弓が上手かね。
青年 空を飛ぶ鳥でもかならず射落します。蛇が今夜ここへ襲って来たら、まず一の矢でそのひかった眼を射透してみせます。二の矢でその咽喉を射ぬいて見せます。大丈夫だから御安心下さい。
嫗 ありがとうございます。お前さんがその弓と矢で、おそろしい蛇を退治してくだされば、娘も助かります。わたし達夫婦も助かります。娘、もう大丈夫だよ。おまえはきっと助かるから……。
娘 助かるでしょうか。
嫗 この人は強いのだよ。
娘 強いでしょうか。
青年 わたしは自分でも強いものだと信じています。
翁 お前さんはほんとうに強そうだ。やれ、やれ、これでようよう安心した。
嫗 わたしもようよう落付いた。
娘 安心ができましょうか。
翁 そんな心細いことを云うものではない。なんでも気を強くもっていろよ。
(雨の音薄くきこゆ。人々は表を窺う。)
青年 おお、雨がまた降って来た。
翁 もう日が暮れるなあ。
青年 今のうちに弓の弦《つる》でも張って置こうか。
(青年は弓の弦を張る。翁は立寄って見る。)
翁 なるほど、太い弦だ。これを強く張って矢を放したら、鉄の鎧でも射透すだろう。
嫗 いくら大きな蛇でも急所を射られてはたまるまい。
(青年はほほえみながら弦打《つるうち》二
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