ろとお為になることがございます。現に今晩も狂言作者で名高い河竹其水《かわたけきすい》(黙阿弥の俳名)さん、戯作で売り出しの鈍亭魯文先生なぞがお見えになって居ります。この先生方もわたくし共の話を聴いて、御商売の種になさいますので……。」
彼は黙阿弥と魯文の坐っている方を見ながら云ったので、他の聴衆も一度に二人を見返ると、魯文はにやにや笑っていた。黙阿弥はむっとして起《た》って帰った。ここにも魯文と黙阿弥の性格がよく現われているように思われる。高坐の上でそういう形式の自己宣伝を試みるのは穏当でないが、栄次も無根のことを口走ったのでは無い。実際その当時の戯作者や狂言作者が寄席の高坐から種々の材料を摂取していたのは、争いがたき事実であった。唯その人情話や講談のたぐいを小説化し又は戯曲化する場合に、どれだけ自己の創意を加えるかは、その作家の技倆如何に因るのであった。黙阿弥などの作には自己の創意が多量に加わっているのが多い。そんなわけであるから、江戸末期から明治の初年にわたる各種の世話狂言について、一々その出所を寄席の高坐に求めることになると、おそらく其の多きに堪えないであろう。
六
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