の出会う場面を作ることが出来ず、小平の活動する件りは殆んど省略された。それが少しく遺憾であったが、役々いずれも好評、取り分けて例の「馬の別れ」が大好評で、この以来、塩原多助といえば直ぐに「馬の別れ」を思い出すほどに有名なものになってしまった。
 その時に、いわゆる劇通連のあいだには、菊五郎の芝居よりも円朝の話の方がやはり面白いという評があった。高坐の上では、あらゆる人物をことごとく円朝が話すのであるが、舞台の上では、あらゆる人物を菊五郎が勤めるわけには行かない。大抵は菊五郎以下の俳優が勤めるのであるから、興味はそれだけ減殺される結果に陥るというのである。しかも一般の観客はそんなことに無頓着で、この興行は大入り大当たりであった。原作者の円朝も頗る得意で、その一門の三遊派落語家数十名を率いて見物した。
 ついでに記《しる》すが、この時の中幕は「箱根山曾我初夢」で、工藤祐経が箱根権現に参詣し、その別当所で五郎の箱王丸に出会い、例の対面になるという筋であったが、その道具が居所替《いどころがわ》りで信州軽井沢の八幡屋という女郎屋になり、屏風のなかに一番目の道連れ小平が寝ている。祐経と小平は菊五郎
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