多助の方が情味に富んで、聴衆を泣かせるように出来ている。わたしは運わるく、円朝の高坐で「馬の別れ」を聴かなかった。私の聴いたのは、お角婆の庵室へ原丹次とおかめの夫婦が泊まり合わせる件りであった。
 それについて思われるのは、円朝は人物の名を付けることが巧いことである。又旅のお角などは先ず普通であるが、その子が胡麻の灰で道連れ小平、その同類が継立《つぎたて》の仁助などは、いずれも好く出来ている。落語でも芝居でも、人名などは一種の符牒に過ぎないように思われるが、決してそうで無い。道連れの小平などという名を聞けば、いかにもそれが道中の胡麻の灰で、忌な眼を光らせて往来の旅人を窺っているらしく連想される。こういう点にも、円朝は相当の苦心を払っていたらしい。
 たとい越後善吉があるにしても、斎藤内蔵之助があるにしても、それだけの粉本では十五席の長い人情話は出来あがらない。一席ごとに皆それぞれの山を作って、昨晩の聴衆を今晩へ、今晩の聴衆を明晩へと引き摺って行かなければならない。その点は新聞の続き物と同様であるが、新聞は忌《いや》でも応でも毎日配達されて毎日読まされる。寄席の聴衆は自宅から毎晩わざわざ
前へ 次へ
全56ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング