助の立志譚を作るのではなくして、やはり「牡丹燈籠」式の怪談を作る積りであったと云う。怪談が変じて立志譚となったのは面白い。その経路は、こうである。
 円朝は生涯に百怪談を作る計画があって、頻りに怪談の材料を蒐集していると、その親友の画家柴田|是真《ぜしん》翁から本所|相生町《あいおいちょう》二丁目の炭屋の怪談を聞かされた。それは二代目塩原多助の家にまつわる怪談で、二代目と三代目の主人が狂死を遂げ、さしもの大家《たいけ》もついに退転するという一件であった。
 成程それは面白そうであるから、それを材料にして一編の怪談を組み立てようと云うことになったが、その当時、円朝はそれに就いて何の予備知識もなかった。塩原多助という人の名さえも知らなかった。そこで、まず相生町二丁目へ行って、土地の故老に塩原家のことを尋ねたが、何分にも年代を経ているので、一向にわからない。ようようのことで、塩原家の墓が浅草高原町の東陽寺にあることを探り出して、更にその寺へ尋ねてゆくと、墓は果たしてそこにあったが、寺でもやはり詳しいことは判らなかった。しかし住職と話している間に、円朝の眼についたのは、日本橋長谷川町の待合「梅
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