で、旗本の次男の道楽者という柄には嵌《はま》らなかったが、同優はそのころ売り出し盛りであったので、さのみの不評をも蒙らずに終わった。松助の平左衛門もどうかと危ぶまれたのであるが、これは案外に人品もよろしく、旗本の殿様らしく見えたという好評であった。
この時、わたしの感心したのは、菊五郎の伴蔵が秀調の女房にむかって、牡丹燈籠の幽霊の話をする件りが、円朝の高坐とは又違った味で一種の凄気を感じさせた事であった。高坐の芸、舞台の芸、それぞれに違った味を持っていながら、その妙所に到ればおのずから共通の点がある。名人同士はこういうものかと、私は今更のように発明した。秀調は先代で、女形としては容貌《きりょう》も悪く、調子も悪かったが、こういう役は不思議に巧かった。
春木座の時にもこの狂言にちなんだ牡丹燈籠をかけたが、それは劇場の近傍と木戸前だけにとどまっていた。歌舞伎座の時には其の時代にめずらしい大宣伝を試みて、劇場附近は勿論、東京市中の各氷屋に燈籠をかけさせた。牡丹の造花を添えた鼠色の大きい盆燈籠で、その垂れに歌舞伎座、牡丹燈籠などと記《しる》してあった。盆興行であるので、十五と十六の両日は藪
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