ころから十手を出す。)これを見て、神妙に覚悟をしていろ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(十右衛門は堪《たま》らなくなったように半七のそばに来る。)
[#ここで字下げ終わり]
十右衛 もし、親分。おまえさんはさっきから大分酔っていなさるようだから、まあ奥へ行ってちっとお休みなすってはどうでございます。店先であんまり大きな声をして下さると、世間に対してまったく迷惑いたしますから、兎も角もあっちへお出で下さい。これ、和吉。親分を奥へ御案内申せ。
和吉 はい、はい。(おずおず進み寄る。)もし、どうぞ奥へ……。わたくしが御案内申します。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(和吉は半七の手を取ろうとすると、半七はその横面をいきなり撲りつける。)
[#ここで字下げ終わり]
半七 ええ、なにをしやあがるんだ。手前たちのような磔《はりつけ》野郎のお世話になるんじゃあねえ。やい、やい、なんで人の面を睨みやあがるんだ。てめえ達はみんな主殺しの同類だからはりつけ[#「はりつけ」に傍点]野郎だと云ったのがどうした。手前たちも知っているだろう。(和吉の顔をきっと見る。)はりつけ[#「はりつけ」に傍点]になる奴は裸馬《はだかうま》にのせられて、江戸中を引きまわしになるんだ。それから鈴ガ森か小塚っ原で高い木の上へくくり付けられると、突き手が両方から長い槍をしごいて、科人の眼のさきへ突き付けて、ありゃありゃと声をかける。それを見せ槍というのだ、よく覚えておけ。見せ槍が済むと、今度はほんとうに右と左の腋の下から何遍となく、ずぶりずぶりと突き上げるのだ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(この怖ろしい刑罰の説明を聴かされて、人々は聴くに堪えないように息をのんで身をすくめている。十右衛門も眉をひそめ、和吉も蒼くなって黙っている。)
[#ここで字下げ終わり]
半七 さあ、これだけ云って聞かせたら、血のめぐりの悪い手前たちも大抵わかったろう。さっきから無暗にしゃべったので、がっかりしてしまった。奥山の豆蔵だって、これだけしゃべれば五十や六十の銭《ぜに》はかせげるのだ。ほんとうにばかばかしい。店をふさげて気の毒だが、おらあここにちっとのあいだ寝かして貰うよ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(半七はそこにごろりと寝転んでしまう。人々はほっとして又もや顔をみあわせる。)
[#ここで字下げ終わり]
伝兵衛 (小声で。)もし、どうしたものでございましょうね。
十右衛 (顔をしかめる。)どうも飛んだ人を連れて来てしまった。まあ、仕方がないから、暫くこのままにしてそっと置くよりほかはあるまいよ。正気なら真逆《まさか》にこうでもあるまいが、なにしろ酔っているのだから手の着けようがない。
弥助 (おなじく小声で。)それにほかの人とは違いますからね。
十右衛 そうだ、そうだ。それだから猶さら始末が悪い。眼のさめるまでまず斯うして置け。(人々に。)みんなももう用はないから、ここには構わずにめいめいの仕事をしなさい。
一同 はい、はい。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(庄八、長次郎をはじめ、若い者等は皆それぞれに分れて去る。伝兵衛は帳場に戻り、弥助も帳面と十露盤を取る。)
[#ここで字下げ終わり]
十右衛 どれ、奥へ行って旦那やおかみさんに逢って来ましょうか。まったく飛んだ人を連れて来て、みんなにも気の毒なことをしてしまった。わたしも悪気でしたことではないから、まあ堪忍してください。
伝兵衛 どうも恐れ入ります。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(十右衛門は寝ている半七をみかえり、そこに脱いである羽織を取って半七の上に着せかけ、そのまま奥に入る。和吉は半七の枕もとにある茶盆と湯呑をそっと取りにゆき、その寝顔をじっと眺めて、やがてしずかに奥へゆく。半七は少しく身を起して、そのうしろ姿を見送る。)
[#ここで字下げ終わり]
伝兵衛 (気がついて。)おお、親分。お目ざめでございますか。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(半七は無言で再びごろりとなる。九つの時の鐘きこゆ。)
[#ここで字下げ終わり]
弥助 もう石町《こくちょう》の九つか。
伝兵衛 朝からなんだかごたごたしていたので、馬鹿に午《ひる》が早いようだ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(下のかたより常磐津文字清が取り乱した姿でかけ出して来るのを、おくめと幸次郎が追っていず。)
[#ここで字下げ終わり]
おくめ おまえさん、まあ、お待ちなさいよ。
幸次郎 冗談じゃあねえ。おめえに滅多なことでもされて見ろ。おれ達が親分にどんなに叱られるか知れねえ。
文字清 いいえ、構わずに放してください。
[#ここから改行天付き、折り返して1字
前へ
次へ
全16ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング