ざいます。
半七 実は唯今この町内の角でお店の長次郎さんに逢いましたが、なんだか息を切って駈けてくる様子が変ですから、どうかしたのかと聞いてみると、初午のお芝居から飛んだ間違いが出来ましたそうで……。わたくしもびっくり致しました。して、怪我人はどんな様子です。
与兵衛 (少し迷惑そうに。)長次郎めがおしゃべりを致して、なにもかも御承知とあれば、今更かくし立ては致しません。思いもよらない間違いから、せがれはこの通りでございます。
半七 まっぴら御免くださいまし。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(半七は角太郎のそばに進みより、声をかける。)
[#ここで字下げ終わり]
半七 もし、若旦那。気は確かですかえ。
与兵衛 さっきから何を申しても返事はございません。
半七 そうですか。困ったものだな。(角太郎の疵をあらためる。)そうして、その刀というのはどれですね。
庄八 これでございます。(血に染みた刀をみせる。)
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(半七は無言で刀をうけ取り、燭台の灯に照らして見て、やがて一座の人々の顔をずらりと見わたす。人々は何となく薄気味悪いように眼を伏せる。)
[#ここで字下げ終わり]
半七 今夜の小道具の損料屋さんはいますかえ。
五助 (ぎょっとして。)はい、はい。わたくしでございます。
半七 この本身はおめえが持って来たのかえ。
五助 それを旦那からも御詮議でございましたが、わたくしは決してそんなものを持って来た覚えはございません。ねえ、三津平さん。
三津平 わたしも皆さんの顔をこしらえに来て、舞台の上のことも何やかやとお世話をしているので、衣裳や持物はみな一と通り調べましたが、五助さんの持って来た大小は金貝張りで、決して本身ではなかったのでございます。
半七 それがいつの間にか本身に変っていたのか。(再び一座を見まわして考えている。)
三津平 今も云っているところですが、どうも魔がさしたとしか思われませんよ。
半七 まったく魔がさしたのかも知れねえな。(刀をながめて再び考えている。)
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(下のかたより角太郎の妹おてる、十六七歳。仲ばたらきお冬、十七八歳。あわてていず。)
[#ここで字下げ終わり]
おてる もし、兄《にい》さんがどうかしたのかえ。
お冬 若旦那様がお怪我をなすった
前へ 次へ
全32ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング