なかばに、兜が突然に紛失したのである。それは小春日和のうららかに晴れた日の午《ひる》すぎで、当主の勘次郎は出番の日に当っているので朝から留守であった。隠居の勘十郎も牛込辺の親類をたずねて行って留守であった。兜はそのあいだに紛失したのであるから、隠居と主人の留守を窺って、何者かが盗み出したのは明白であったが、座敷の縁側にも人の足跡らしいものなどは残されていなかった。ほかにはなんにも紛失ものはなかった。賊は白昼大胆に武家屋敷の座敷へ忍び込んで、床の間に飾ってある兜ひとつを盗み出したのである。
 その当時の邦原家は隠居とその妻のお国と、当主の勘次郎との三人で、勘次郎はまだ独身であった。ほかには中間二人と下女ひとりで、中間らはいずれも主人の供をして出ていたのであるから、家に残っているのはお国と下女だけで、かれらは台所で何か立ち働いていた為に、座敷の方にそんなことの起っているのを、ちっとも知らなかったというのである。
 盗んだ者については、なんの手がかりもない。しいて疑えば、日ごろ邦原家へ出入りをして、その兜を見せられた者の一人が、羨《うらや》ましさの余り、欲しさの余りに悪心を起したものかとも想像されないことはないので、あれかこれかと数えてゆくと、その嫌疑《けんぎ》者が二、三人ぐらいは無いでもなかったが、別に取留めた証拠もないのに、武士に対して盗人のうたがいなどを懸けるわけにはゆかない。邦原家では自分の不注意とあきらめて、何かの証拠を見いだすまでは泣き寝入りにして置くのほかはなかった。
「どうも普通の賊ではない。」と、勘十郎は言った。
 床の間には箱入りの刀剣類も置いてあったのに、賊はそれらに眼をかけず、択《よ》りに択って古びた兜ひとつを抱え出したのを見ると、最初から兜を狙って来たものであろう。まさかにかの金兵衛が取返しに来たのでもあるまい。賊はこの屋敷に出入りする侍の一人に相違ないと、勘十郎は鑑定した。勘次郎もおなじ意見であった。
 それにつけても、かの兜の出所をよく取糺《とりただ》して置く必要があると思ったので、邦原家では金兵衛をよび寄せて詮議すると、金兵衛もその紛失に驚いていた。実は自分もその出所を知っていないのであるから、早速下谷の道具屋へ行って聞合せて来るといって帰ったが、その翌日の夕方に再び来て、次のようなことを報告した。
「けさ下谷へ行って聞きますと、あの兜はことしの五月、なんでも雨のびしょびしょ降る夕方に、二十七、八の女が売りに来たんだそうです。わたしの店では武具を扱わないから、ほかの店へ持って行ってくれと一旦は断わったそうですが、幾らでもいいから引取ってくれと頻《しき》りに頼むので、こっちも気の毒になってとうとう買い込むことになったのだということです。その女は屋敷者らしい上品な人でしたが、身なりは余りよくない方で、破《や》れた番傘をさしていて、九つか十歳《とお》ぐらいの女の子を連れていたそうで、まあ見たところでは浪人者か小身の御家人《ごけにん》の御新造でもあろうかという風体《ふうてい》で、左の眼の下に小さい痣《あざ》があったそうです。」
 それだけのことでは、その売主《うりぬし》についてもなんの手がかりを見いだすことも出来なかった。まあいい。そのうちには何か知れることもあるだろうと、邦原家でももう諦めてしまった。そうして、またふた月あまりも過ぎると、十二月の末の寒い日である。ゆうべから吹きつづく空《から》っ風に鼻先を赤くしながら、あの金兵衛がまた駈け込んで来た。
「御隠居さま、一大事でございます。」
 茶の間の縁側に出て、鉢植えの梅をいじくっていた勘十郎は、内へ引っ返して火鉢の前に坐った。
「ひどく慌てているな。例の兜のゆくえでも知れたのか。」
「知れました。」と、金兵衛は息をはずませながら答えた。「どうも驚きました。まったく驚きました。あの兜には何か祟《たた》っているんですな。」
「祟っている……。」
「わたくしと同商売の善吉という奴が、ゆうべ下谷の坂本の通りでやられました。」と、金兵衛は顔をしかめながら話した。「善吉は下谷金杉に小さい店を持っているんですが、それが坂本二丁目の往来で斬られたんです。こいつはわたくしと違って、うしろ袈裟《げさ》にばっさりやられてしまいました。」
「死んだのか。」と、勘十郎も顔をしかめた。
「死にました。なにしろ倒れているのを往来の者が見付けたんですから、どうして殺されたのか判りませんが、時節柄のことですからやっぱり辻斬りでしょう。ふだんから正直な奴でしたが、可哀そうなことをしましたよ。それはまあ災難としても、ここに不思議な事というのは、その善吉も兜をかかえて死んでいたんです。」
「おまえはその兜を見たか。」
「たしかに例の兜です。」と、金兵衛は一種の恐怖にとらわれているようにささやいた。「同商売ですから、わたくしも取りあえず悔みに行って、その兜というのを見せられて実にぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としました。死人に口無しですから、一体その兜をどこから手に入れて、引っかかえて来たのか判らないというんですが、わたくしといい、善吉といい、その兜を持っている者が続いてやられるというのは、どうも不思議じゃあありませんか。考えてみると、わたくしなぞは運がよかったんですね。兜をかぶっていたのが仕合せで、善吉のように引っかかえていたら、やっぱり真っ二つにされてしまったかも知れないところでした。」
 それが兜の祟りと言い得るかどうかは疑問であるが、ともかくも邦原家から盗み出されたかの兜がどこかを転々して善吉の手に渡って、それを持ち帰る途中で彼も何者にか斬られたというのは事実である。但しその兜を奪い取る目的で彼を殺したものならば、兜が彼の手に残っているはずはない。その兜と辻斬りとは別になんの係合いもないことで、単に偶然のまわり合せに過ぎないらしく思われるので、勘十郎はその理屈を説明して聞かせたが、金兵衛はまだほんとうに呑み込めないらしかった。
 その兜には何かの祟りがあって、それを持っている者はみな何かの禍いを受けるのであろうと、彼はあくまでも主張していた。
「それでは、最初お前にその兜を売った御成道の道具屋はどうした。」と、勘十郎はなじるように訊いた。
「それが今になると思い当ることがあるんです。御成道の道具屋の女房はこの七月に霍乱《かくらん》で死にました。」
「それは暑さに中《あた》ったのだろう。」
「暑さにあたって死ぬというのが、やっぱり何かの祟りですよ。」
 金兵衛はなんでもそれを兜の祟りに故事《こじ》つけようとしているのであるが、勘十郎はさすがに大小を差している人間だけに、むやみに祟りとか因縁《いんねん》とかいうような奇怪な事実を信じる気にもなれなかった。
「そこで旦那。どうなさいます。その兜を又お引取りになりますか。むこうでは売るに相違ありませんが……。」と、金兵衛は訊いた。
「さあ。」と、勘十郎もかんがえていた。「まあ、よそうよ。」
「わたくしもそう思っていました。あんな兜はもうお引取りにならない方が無事でございますよ。第一、それを持って来る途中で、わたくしが又どんな目に逢うか判りませんからね。」
 言うだけのことをいって、彼は早々に帰った。

     三

 下谷の坂本通りで善吉を斬ったのは何者であるか、このごろ流行る辻斬りであろうというだけのことで、遂にその手がかりを獲《え》ずに終った。主人をうしなった善吉の家族は、店をたたんで何処へか立退いてしまったので、兜のゆくえも判らなかった。おそらく他の諸道具と一緒に売払われたのであろうと、金兵衛は言っていた。
 それから四年目の慶応二年に、隠居の勘十郎は世を去って、相続人の勘次郎が名実ともに邦原家の主人《あるじ》となった。かれはお町という妻を迎えて、慶応三年にはお峰という長女を生んだ。それが現代の邦原君の姉である。
 その翌年は慶応四年すなわち明治元年で、勘次郎は二十三歳の春をむかえた。この春から夏へかけて、江戸に何事が起ったかは、改めて説明するまでもあるまい。勘次郎は老いたる母と若い妻と幼い娘とを知己《しるべ》のかたにあずけて、自分は上野の彰義《しょうぎ》隊に馳《は》せ加わった。
 五月十五日の午後、勘次郎は落武者《おちむしゃ》の一人として、降りしきる五月雨《さみだれ》のなかを根岸のかたへ急いでゆくと、下谷から根岸方面の人々は軍《いくさ》の難を逃がれようとして、思い思いに家財を取りまとめて立退いた後であるから、路ばたにはいろいろの物が落ち散っていて、さながら火事場のようである。そのあいだを踏みわけて、勘次郎はともかくも箕輪《みのわ》の方角へ落ちて行こうとすると、急ぐがままに何物にかつまずいて、危うく倒れかかった。踏みとまって見ると、それは一つの兜であった。しかも見おぼえのある兜であった。かれはそれを拾い取って小脇にかかえた。
 持っている物でさえも、なるべくは打捨てて身軽になろうとする今の場合に、重い兜を拾ってどうする気であったか。後日《ごにち》になって考えると、彼自身にもその時の心持はよく判らないとの事であったが、勘次郎は唯なんとなく懐かしいように思って、その兜を拾いあげたのである。そうして、その邪魔物を大事そうに引っかかえて又走り出した。
 箕輪のあたりまで落ちのびて、彼は又かんがえた。雨が降っているものの、夏の日はまだなかなか暮れない。千住《せんじゅ》の宿《しゅく》にはおそらく官軍が屯《たむ》ろしているであろう。その警戒の眼をくぐり抜けるには、暗くなるのを待たなければならない。さりとて、往来にさまよっていては人目に立つと思ったので、彼は円通寺に近い一軒の茅葺《かやぶ》き家根をみつけて駈け込んだ。
「彰義隊の者だ。日の暮れるまで隠してくれ。」
 この場合、忌《いや》といえばどんな乱暴をされるか判らないのと、ここらの者はみな彰義隊に同情を寄せているのとで、どこの家でも彰義隊の落武者を拒《こば》むものは無かった。ここの家でもこころよく承知して、勘次郎を庭口から奥へ案内した。百姓家とも付かず、店屋《てんや》とも付かない家《うち》で、表には腰高《こしだか》の障子をしめてあった。ここらの事であるから相当に広い庭を取って、若葉の茂っている下に池なども掘ってあった。しかしかなりに古い家で、家内は六畳二間しかないらしく、勘次郎は草鞋《わらじ》をぬいで、奥の六畳へ通されると、十六、七の娘が茶を持って来てくれた。その母らしい三十四、五の女も出て来て挨拶《あいさつ》した。身なりはよくないが、二人ともに上品な人柄であった。
「失礼ながらおひもじくはございませんか。」と、女は訊いた。
 朝からのたたかいで勘次郎は腹がすいているので、その言うがままに飯を食わせてもらうことになった。
「ここの家《うち》に男はいないのか。」と、勘次郎は膳に向いながら訊いた。
「はい。娘と二人ぎりでございます。」と、女はつつましやかに答えた。その眼の下に小さい痣《あざ》のあるのを、勘次郎は初めて見た。
「なんの商売をしている。」
「ひと仕事などを致しております。」
 飯を食うと、朝からの疲れが出て、勘次郎は思わずうとうとと眠ってしまった。やがて眼がさめると、日はもう暮れ切って、池の蛙《かわず》が騒々しく鳴いていた。
「もうよい時分だ。そろそろ出掛けよう。」
 起きて身支度をすると、いつの間に用意してくれたのか、蓑笠《みのかさ》のほかに新しい草鞋までも取揃えてあった。腰弁当の握り飯もこしらえてあった。勘次郎はその親切をよろこんで懐ろから一枚の小判を出した。
「これは少しだが、世話になった礼だ。受取ってくれ」
「いえ、そんな御心配では恐れ入ります。」と、女はかたく辞退した。「いろいろ失礼なことを申上げるようでございますが、旦那さまはこれから御遠方へいらっしゃるのですから、一枚の小判でもお大切でございます。どうぞこれはお納めなすって下さいまし。」
「いや、そのほかにも多少の用意はあるから、心配しないで取ってくれ。」
 彼は無理にその金を押付けようとすると、女はすこしく詞《こと
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