さい。これをかぶっていた為にあぶなく真っ二つにされるところでした。こんな縁喜《えんぎ》の悪いものは早く手放してしまいとうございます。」
 その代金は追って受取ることにして、彼はその兜を置いて帰った。

     二

 兜の価《あたい》は幾らであったか、それは別に伝わっていないが、その以来、兜は邦原家の床の間に飾られることになって、下谷の古道具屋の店にころがっているよりは少しく出世したのである。或る人に鑑定してもらうと、それは何代目かの明珍《みょうちん》の作であろうというので、勘十郎は思いもよらない掘出し物をしたのを喜んだという話であるから、おそらく捨値同様に値切り倒して買入れたのであろう。
 それはまずそれとして、その明くる朝、本郷の追分に近い路ばたに、ひとりの侍が腹を切って死んでいるのを発見した。年のころは三十五、六で、見苦しからぬ扮装《いでたち》の人物であったが、どこの何者であるか、その身許を知り得《う》るような手がかりはなかった。その噂《うわさ》を聞いて、金兵衛は邦原家の中間らにささやいた。
「その侍はきっとわたしを斬った奴ですよ。場所がちょうど同じところだから、わたしを斬った
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