々しい。将軍家のお膝元という江戸も頗《すこぶ》る物騒で、押込みの強盗や辻斬《つじぎ》りが毎晩のように続く。その八月の十二日の宵である。この年は八月に閏《うるう》があったそうで、ここにいう八月は閏の方であるから、平年ならばもう九月という時節で、朝晩はめっきりと冷えて来た。その冷たい夜露を踏んで、ひとりの男が湯島の切通しをぬけて、本郷の大通りへ出て、かの加州《かしゅう》の屋敷の門前にさしかかった。
 前にもいう通り、今夜は八月十二日で、月のひかりは冴え渡っているので、その男の姿はあざやかに照らし出された。かれは単衣《ひとえもの》の尻を端折《はしょ》った町人ていの男で、大きい風呂敷包みを抱えている。それだけならば別に不思議もないのであるが、彼はその頭に鉄の兜をいただいていた。兜には錣《しころ》も付いていた。たといそれが町人でなくても、単衣をきて兜をかぶった姿などというものは、虫ぼしの時か何かでなくてはちょっと見られない図であろう。そういう異形《いぎょう》の男が加州の屋敷の門前を足早に通り過ぎて、やがて追分《おいわけ》に近づこうとするときに、どこから出て来たのか知らないが、不意につかつかと駆け
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