の料簡《りょうけん》次第で、この問題が決着するわけでございます。母もわたくしに向って言いました。
「お前さえ承知ならば、わたし達には別に異存はありませんから、よく考えてごらんなさい。」
勿論、よく考えなければならない問題ですが、実を申すと、その当時のわたくしにはよく考える余裕もなく、すぐにも承知の返事をしたい位でございました。
生きた鰻を食った男――それをお前は忘れたかと、こう仰しゃる方もありましょう。わたくしも決して忘れてはいません。その証拠には、その晩こんな怪しい夢をみました。
場所はどこだか判りませんが、大きい爼板《まないた》の上にわたくしが身を横たえていました。わたくしは鰻になったのでございます。鰻屋の職人らしい、印半纏《しるしばんてん》を着た片眼の男が手に針か錐《きり》のようなものを持って、わたくしの眼を突き刺そうとしています。しょせん逃がれぬところと観念していますと、不意にその男を押しのけて、又ひとりの男があらわれました。それはまさしく浅井さんと見ましたから、わたしは思わず叫びました。
「浅井さん、助けてください。」
浅井さんは返事もしないで、いきなり私を引っ掴《つか》んで自分の口へ入れようとするのです。わたくしは再び悲鳴をあげました。
「浅井さん。助けてください。」
これで夢が醒めると、わたくしの枕はぬれる程に冷汗《ひやあせ》をかいていました。やはり例のうなぎの一件がわたくしの頭の奥に根強くきざみ付けられていて、今度の縁談を聞くと同時にこんな悪夢がわたくしをおびやかしたものと察せられます。それを思うと、浅井さんと結婚することが何だか不安のようにも感じられて来たので、わたくしは夜のあけるまで碌々《ろくろく》眠らずに、いろいろのことを考えていました。
しかし夜が明けて、青々とした朝の空を仰ぎますと、ゆうべの不安はぬぐったように消えてしまいました。鰻のことなどを気にしているから、そんな忌《いや》な夢をみたので、ほかに子細も理屈もある筈がないと、私はさっぱり思い直して、努めて元気のいい顔をして両親の前に出ました。こう申せば、たいてい御推量になるでしょう。わたくしの縁談はそれからすべるように順調に進行したのでございます。
唯ひとつの故障は、平生《へいぜい》から病身の母がその秋から再び病床につきましたのと、わたくしが今年は十九の厄年――その頃はまだそ
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