ることであろう。しかも優れたる怪談劇は容易に出現しないであろう。
前にも云う通り、在来の怪談劇は早替りとか仕掛けとか云うことを主としている。それは勿論俳優本位から考え出されたものであるが、一般の観客も亦、幽霊その物の姿を見なければ得心しなかったらしい。演劇にかぎらず、在来の小説などに描かれている幽霊も、大抵はその姿をありありと現わしているようであるが、小説は格別、今後の舞台の上に幽霊の姿をあらわす事はむずかしい。それが怪談劇であれば、猶更その姿を明らさまに見せることを避けて、一種の鬼気とか妖気とか云うものだけを感じさせた方が、観客の恐怖心を誘い出す上に於いて有効であるらしい。
これは演劇ばかりでなく、怪談全般に就いて云うべきことであるが、わが国在来の怪談はあまりに辻褄が合い過ぎる。たとえば甲が乙を殺したが為に、甲又は甲の眷族が乙の幽霊に悩まされると云ったような類で、勿論それには因果応報の理も示されているのであろうが、余りにその因果の関係が明瞭であるために、却って凄味を削減される憾みがある。しょせん怪談というものは理窟の判らないところに凄味もあり、興味もあるのではあるまいか。と云って
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