全集を通読すると、真の怪談劇と認むべきものは甚だ少ない。例の「四谷怪談」でお岩と小平を見せ、「彩入御伽草《いろえいりおとぎぞうし》」で小平次と皿屋敷を見せ、「成田利剣《なりたのりけん》」で累を見せているくらいで、他は真の怪談劇と云うべき物では無いようである。黙阿弥にも「小幡小平次」以外には、怪談劇らしい物は無い。明治になってから「箱根鹿笛」を書いているが、これはむしろ怪談否定劇である。
明治以後に出来た怪談劇では、円朝の話を脚色した「怪異談牡丹燈籠」が最も知られている。それから、同じ円朝物の「真景|累《かさね》ヶ|淵《ふち》」が近来有名になった。しかし大体に於いて怪談劇に余り面白いものは少ない。その大関とも云うべき「四谷怪談」とても、昔は知らず、今日の観客はむしろ伊右衛門や直助権兵衛の方に多分の興味を感じて、肝腎のお岩さまの方は二の次にされている傾きがある。
小山内薫氏が曾て云われた通り、怪談は所詮「怪談」で、ストーリーの領分に属するものらしい。劇として怪談の凄味を見せようとするのは、昔でもなかなかむずかしく、殊に現代の舞台の上では猶更むずかしそうである。いかに照明などを巧みに利用
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