が、別に思い出すようなこともなかったらしい。
「普請中にも変ったことはなかったようだ。まあ、あの一件ぐらいだな。」と、書記は笑いながら言った。
「なんだ、あんなこと……。あははははは」と、小使も笑い出した。
「あの一件とは……。どんな事です。」と、わたしは重ねて訊いた。
「なに、詰まらない事ですよ。」と、若い書記はまた笑った。
「曽田屋の別棟は五間《いつま》ぐらいですが、ほかにも手入れをする所が相当にあるので、七、八人の大工が絶えず入り込んで、材木の切り組から出来《しゅったい》までには三月以上、やがて四月くらいはかかりましたろう。それは一昨年《おととし》の三月頃から五、六月頃にかけてのことで、その仕事に来た大工はみな泊り込みで働いていたんです。そのなかに西山――名は何というのか知りませんが、とにかく西山という若い大工がまじっていました。年はまだ十九とか二十歳《はたち》とかいうんですが、小僧あがりに似合わず仕事の腕はたいへんに優れていて、一人前の職人もかなわない位であったそうです。それが西山という姓を名乗ってはいますが、実は朝鮮人だともいい、又は琉球人の子で鹿児島で育ったのだともいう噂が
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