を聴いただけで、別にその人形を見せてくれとも言わず、急に気分が悪いと言い出して、寝込んでしまいました。ふだんならば格別、あらしの被害で大手入れの最中、ふたりの病人が枕をならべて寝ていては困るので、ひとまず町の病院へ入れることにしましたが、姉妹ともに素直に送られて行きました。番頭や女中たちの話によると、半分眠っているようであったといいます。」
「その人形はどう処分しました。」
「家でも人形の処分に困って、いろいろ相談の結果、町はずれの菩提寺《ぼだいじ》へ持って行って、僧侶にお経を読んでもらった上で、寺の庭先で焼いてしまうことにしたのです。それは娘たちが入院してから三日目のことで、この日も初秋らしい風が吹いて空は青々と晴れていました。読経《どきょう》が型の如くに済んで、一対の人形がようやく灰になった時に、病院から使いがあわただしく駈けて来て、姉妹は眠るように息を引取ったと言いました。」
「先生……。」
「いや、まだお話がある。」と、博士は畳みかけて言った。「姉に関係があり、妹に関係があったらしい氷垣という外交員……。彼は先夜の一件以来、旅館にも居にくいようになったと見えて、早々にここを立去って、三里あまりも離れた隣りの町へ引移って、相変らず外交の仕事に歩き廻っていたのですが、例の大風雨の後、近所の川の渡し船が増水のために転覆して、船頭だけは幸いに助かったが、七人の乗客は全部溺死を遂げた。土地の新聞はそれを大々的に報道していましたが、その溺死者の一人に氷垣明吉の名を発見した時、わたしは何だかぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。但し、それは人形を焼いた当日でなく、その翌日の午前中の出来事でした。」
 わたしは息を嚥《の》んで聴いていた。わたしの友人に二人の妹があって、それが流行病で同時に仆《たお》れたという話はかつて聴かされたが、その死に就いてこんな秘密がひそんでいることを、今夜初めて知ったのである。それは流行病以上の怖ろしい最期であった。
「その当時、わたしはコダックを携帯していたので、その怪獣を撮影して置きたいと思ったのですが、遺族の手前、まさかにそんな事も出来ないので、そのままにしてしまいました。」と、博士は言った。



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「オール讀物」
   1934(昭和9)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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